大学院を修了してから4年強の間勤めたトレジャーデータ株式会社を28歳の誕生日(2月25日)付で退職して、翌日から所属がカナダ支社の Treasure Data (Canada)1(以下、TD Canada)になった。
仕事内容や給与はほぼ変わらないけれど2、日本法人に籍を置いたままの赴任とは異なり、日本法人を退職→住民票を抜いて移住→カナダ支社で正式に雇用、という形。一般的な日本での退職手続きを経て、何事もなかったかのように新入社員向けの "Welcome to Treasure Data" メッセージが届いた。
コロナ禍での移住ということでイレギュラーな話は多々あるが(というか基本イレギュラーな話しか無い)、そのあたりの知見は次の記事でまとめるとして、ここでは転籍・移住のモチベーションや今後について。
なお最新状況は期間限定でInstagram上にてレポート中なので、興味があればぜひ。
動機
「経験として、一度くらいは」
平凡すぎるけれど、移住を希望した理由を問われれば僕は大真面目にそう答える3。ソフトウェアエンジニア・プロダクトマネージャーとして世界で闘いたいから、みたいなカッコいい理由は二の次。
学部時代からずっと『海外』に対する漠然とした憧れがあったことは確かである。だからこそ大学院も最初はアメリカ国内で探していたし、就職先は外資系企業のエンジニア職が良かったし、退路を断つために「東京オリンピックまでには東京を出る(≒海外に移住する)」と周囲には言い続けていたわけで。
でも、なぜ?
君は研究がしたいの?海外に行きたいだけなの?
アメリカの大学院への出願準備がうまく行かず、レベルを落として中途半端なところに滑り込もうとしていた僕に学部時代の指導教員がかけてくれたひと言。これが今でも忘れられない。
この質問がまるで天啓であったかのように、海外出張・旅行の機会を積み重ねていくと「やっぱり住むなら日本だなァ」という気持ちが自分の中でどんどん強くなっていった。住むだけでなく、学ぶことや働くことに関してもそう。世界各地で学会や技術カンファレンスに参加し、ビジネスミーティングをこなし、街を歩き、走り、飲んで食べて、時に自然の中に身を置いてみて、そう強く思う。もちろんすべてが完璧というわけではないけれど、文化や環境、人材など様々な面で、日本という国は十二分に素晴らしいモノを持っている。母国であるというバイアス込みで判断すれば、生きる場所としてこれほど良い場所を僕はまだ知らない。
とはいえ、僕がこれまで見てきた“世界”は全体のごく一部なわけで、まだこの「日本サイコー」の判断に自信が持てていない。そもそも世界各地を見てきたというが、その多くが先進国で、しかも都市部ばかりだ。たったそれだけの見聞で、一体何を結論付けられようか。
僕は、物事を経験的に“自分ごと”として語れることを何よりも重んじたい。
- 『なぜUI/UXデザイナーの仕事は批判の的になるのか?その謎を解明すべく我々は(以下略)』や『「マインドフル」であることの効用を実感しつつある』でも触れたように、相手の仕事の難しさを正しく想像できるひとに僕はなりたい。
- 『「今年手放してよかったもの」』や『僕らは名もなき“誰か”からの贈与に気付いているか?』でその現実を突きつけられてから、取り残された世界の人口の80-90%の存在から目を背けて、自分たちだけが消費社会の恩恵を享受し続けることには違和感を覚える。
根底にあるものは、このような気持ちと何ら変わらない。世界は思っているよりももっとずっと広く、多様性ということばの示す“それ”は自分の想像よりもはるかに複雑なものである。
ゆえに、日本に住んだことしかないのに手放しに「日本サイコー」と主張したり、「○○(訪れた国名・地名)は飯がマズい」「○○は人が親切」のように大きな主語で断定することはできない。ならば自分で納得がいくまで動き続けて、ひとつひとつ「経験として」証拠を積み上げていくほかない。
その地を離れてみて初めて気づく良さや、その地に住んでみなければわからないことは確かに存在する。僕らはその事実を、過去の引っ越し体験から“経験的に”知っているはずだ。
そんなわけで、年月を経て、当初の漠然とした海外への憧れは「経験として、一度でいいから海外に住んでみたい」という比較的具体的なものになった。
TD入社〜移住に至るまで
採用面接の時に言ったような気もするが、少なくとも入社して1年も経たない頃には海外転籍に対する前向きな意思をマネージャーに伝えていた。当時は日本法人(東京)とアメリカ本社(シリコンバレー;マウンテンビュー)にしかオフィスがなかったので選択肢は当然ひとつで、ソフトウェアエンジニアのキャリアという点でもそれを極めて自然に受け入れていた。
しかしその後、一ヶ月単位での本社出張を繰り返すにつれて「いや・・・冷静に考えて、自分はここに住みたいか?」と思うようにもなった。「住んでみなければわからない」・・・それは確かにそうなのだが、ここは何か違う。その違和感の正体はなかなか言語化しづらいのだけれど、ひとつ明確な理由を挙げるとすれば「(仕事と酒とアウトドア以外)何もねぇ」(ごめんなさい)4。
改めて後述するが、ビザ申請を含む転籍手続きは会社にとって非常に大きな負担である。したがって会社と社員の双方の意思が合致することが重要であり、タイミングとそれまで/その後の会社への貢献度が重要になる。僕の場合は結局3年間くらい「今じゃない」的な感じでうやむやになっていたのだけれど、昨年2月、社内でエンジニアからプロダクトマネージャーに転身するタイミングで「移住前提でプロダクトマネージャーになるか、TDを退職するか」の2択で交渉をして、ようやく話が現実のものになった。
幸いその頃にはヨーロッパとカナダにも支社ができていて(プロダクトマネージャーを雇用する必要があったのはカナダとアメリカだけだったが)、違和感のあったアメリカを選択肢から除外した。カナダ・バンクーバーは2018年にRecSysで一度訪れただけだったが、街の魅力が強く印象に残っており、はじめての移住先としてかなり「アリ」だと感じた5。その後数ヶ月の間に起こったアメリカのビザに関する混乱を見ると、我ながらギリギリのところで悪くない選択をしたものだと思う。
しかしまぁそこからが長かったわけで・・・。
- じゃあ申請手続きを開始しましょう、と話がはじまったのが2020年2月
- 直後、パンデミックでビザ手続き等政府サービスの一部が停止(または著しく遅延)
- 制限付きで政府サービスが再開し始めたのが6-7月ごろ6
- (まだ何も決まっていないのに)この頃から少しずつ移住に向けた身辺整理をはじめる。
- アパートを解約し、所持品を極限まで減らし、OYO LIFEでのアドレスホッピング生活に移行する。
- 『軽やかに生きたくて。』を書いたのがこの頃。
- それじゃあ改めて・・・と、社内でも申請手続きを再開しかけたところで、10月・TD新体制への移行。これに伴いすべての動きが一時停止7
- 落ち着いた頃、11月にようやく申請手続きを再再開
- 11-12月で諸々の手続きをほぼ最短で終え、2021年1月中旬に申請承認のお知らせを受ける
- 日本でやり残したことも特になかったので8、日本法人の退職日を誕生日に合わせてチャッチャと手続きを進める
そして2021年2月26日にようやく渡航。まさか1年もかかるとは。
なぜ今?
わかる。
その上ではっきり言おう、今となっては極めて消極的な移住であると。
もちろん無事に労働許可が出た以上、パンデミック下であるということを考慮しても尚、会社 (TD) と国(カナダ)とって今回の転籍には相応の理由・価値があると判断されたわけだ。
今回の転籍を後押しした最大の理由は、TD Canadaのエンジニア組織の急成長によって生じた、ビジネス要件を技術要件に翻訳することのできる“誰か”へのニーズにある。これまでTD Canadaにはエンジニアしか在籍しておらず、彼ら彼女らには顧客との接点が限られていた。この事実はtoBビジネスを回す上で非常に大きな懸念材料であり、その重要性は『顧客起点マーケティングによって「データ」が「ストーリー」に昇華される』などこのブログでも散々語ってきた通り。一方、TD Canadaの持つ開発力は今後の会社全体の成長にとって不可欠だ。そこで、過去4年間に渡りエンジニア・プロダクトマネージャーとして技術・ビジネスの両面から相対的に多くの顧客と接してきた自分が、そんな“誰か”としての仕事を任された・・・と、少なくとも僕はそう捉えている(違ったら恥ずかしい)。
これ自体は大変喜ばしいことだが、今のご時世、イジワルをしようと思えば「今じゃなくても良い」理由だっていくらでも挙げられる。そもそもビザ申請自体がタダではないし、会社にとっても多大なコストを要する仕事なのだ。
リモートワークが進んだ世の中で、わざわざ現地に行く意味って?タイムゾーン(時差)が問題なのだとしたら、北米時間(アメリカ本社)にはすでに多くのプロダクトマネージャーが在籍している。逆に、日本在住のプロダクトマネージャーは限られている。その中でなぜ君があえて日本からカナダへ行くのか?転籍によって生じる日本のメンバーに対する時差的・コミュニケーション的なデメリットは?etc.
もちろんすべて想定した上で最終的にプラスが大きいとの判断をいただいたわけだが、100%誰もが頷ける結論ではないことも否定しない。僕自信、嬉しさ半分申し訳無さ半分というのが正直なところ。
また、『じぶんローカライズ元年:慈しみから生まれる深いつながりを目指して』で掲げたローカルなコミュニティに根ざすという方向性や、『「今年手放してよかったもの」』で挙げたグローバル化・消費社会によって加速する環境危機に対する問題意識。これらとは真っ向から対立する矛盾した行動だとも思う。
現職の同僚を除けば現地に知人なんて誰もいないし、幸か不幸か独身のまま来てしまった。ここから共同体を構築するのは難しそうだ。カナダ・バンクーバーという土地自体も、地球規模で見れば日本・東京と同じ極めて豊かな大都市だ。グレタ・トゥーンベリほどラディカルではないにせよ、乗客わずか数十名の旅客機で9時間かけてこの地に飛んで来て、十分な感染予防対策が講じられた安全な空港施設を利用し、世界的なブランドのホテルの一室で快適な入国後の強制隔離措置を受けているという事実に何も思わないわけがない。
更に、出国直前に割とリアルな家庭内での問題が発生し、(何年も前から予告していたことであるとはいえ)両親にはかなり強めに渡航を引き止められた。そりゃそうだ。こんな時期に海外に行けば、冗談抜きで次にいつ会えるかなど分からない。
とにかく、いろいろと葛藤はあった。いっそ早いところTDを辞めて(日本国内で)転職してしまえば楽になるような気もして、LinkedInに届くスカウトメッセージに普段以上に反応した時期もあった。過去1年間の世界情勢および自身の価値観の変化はそれほど大きかったということだ。
今後について
なにはともあれ、僕は今、無事に就労許可証を受け取ってカナダにいる。この先どれだけ滞在することになるのかは分からないし、数ヶ月で帰国することになったらそれはそれで面白いが、とりあえず目指すべきことはひとつ:
これだけの「今じゃなくても良い」理由を差し置いて来たので、仕事もそれ以外も全部ひっくるめて、滞在を可能な限り有意義なものにする。
仕事に関しては、自分が西海岸時間で生活することによってどのような変化が起こるのか、この点を注意深く観察したい9。グローバルな環境下での仕事は難しいし、ストレスフルなものである。これは時差や言語的な壁だけで片付けられる話ではなく、ある種“仕方のない”ことでもある。
ニーズは顧客の数だけ存在します。そして私の経験上、その差異は国境をまたぐことで一層顕著に現れます。[...]また、各国に点在する仲間の価値観や意見も現地のマジョリティにバイアスを受けるため、たとえ社内でのコミュニケーションでも、大きな温度差を感じることも稀ではありません。—『機械学習エンジニアのキャリアパス。プロダクトマネージャーという選択肢が拓く可能性』
これまで日本から見て「なんで北米は・・・」とモヤモヤを抱える側だった自分の視点を入れ替えたとき、どんな気付きがあるのか。「こっち(北米)にはこっちの難しさがある」ということに気付かされて考えを改めるのか、やっぱり「日本サイコー」なのか。はたしてはたして。
プライベートはとりあえずビールとコーヒーとアウトドア。同僚から事前に情報を収集してスーツケースの半分をトレッキング装備で固めてきたので、既に3シーズン+ピッケル不要の雪山ハイクまで対応可能である10。難しいかもしれないけれど、ローカルなコミュニティだってゼロから作っていけばいい。まずはひとりでも社外の友人を作るところから、だろうか・・・コロナ禍でなかなか難しいだろうけれど11。
今のうちに書いておきたいことは、こんなところでしょうか。
先生、やっぱり僕は「(経験として)海外に行きたいだけ」みたいです。それでも「来てよかった」と胸を張って言えるよう、今を精一杯生きてゆきます。
1. "(Canada)" て・・・と思ったが、登記上マジでその社名らしい。 ↩
2. もちろん東京 vs. カナダ(バンクーバー)の物価の差異による若干の調整はあったが、対シリコンバレーほどの大げさな変動はない。 ↩
3. そもそも社員自身が移住・転籍を希望して手を挙げなければ話は始まらないわけで。望んでいない人間を突然海外に飛ばすような会社ではないのでご安心を。 ↩
4. 初めての海外体験がアメリカ・インディアナのド田舎だった僕としては、マウンテンビューも十分に“いろいろある”場所ではあるんだけど、なんかコレジャナイというか・・・。 ↩
5. 個人的に、過去の渡航先で「住んでみてもいいな」とまで思わせてくれたのはノルウェー・オスロとカナダ・バンクーバーの2都市。やっぱり自分は長野県で生まれ育ったのだな、と実感する(いずれも冬季オリンピック開催地)。 ↩
6. 申請手続きの途中で訪れることになる日本のカナダビザ申請センターは6月8日に営業を再開した。 ↩
7. 前述の通り、ビザ手続きは一度申請して放っておけば済むものではなく、会社側のリソースを短期間で大量に消費する。なので、このような組織の変わり目はとにかく「タイミング」が悪く、仕方のないことである。 ↩
8. ちなみにOYO LIFEは12月の時点で見限っていて、最後の1ヶ月間はホテルの格安マンスリープランを利用して静岡・三島で静かに過ごしていた。駿河湾と富士山の写真を何枚撮ったかわからない(山だけ海無し県民の性)。 ↩
9. もともと、ここ1年ほどは日本時間の朝4時起床〜夜9時就寝の生活リズムで業務時間の日本・北米カバレッジをできるだけ均等にしていた。そのためあまり大きな変化は想定していないが・・・果たして。 ↩
10. ほとんどモノを持っていなかったので、スーツケース(大)1個+テント泊用の48Lのバックパック1つだけで来た。別送の荷物も特に無い。まぁなんとかなるでしょう。 ↩
11. 現在、バンクーバーのあるブリティッシュコロンビア州の一日あたりの新規感染者数は500人前後で推移していて、外食事情も聞く限りではほぼ東京に近いイメージ。まだまだ安心はできない。 ↩この記事に関連する話題: ソフトウェアエンジニア、カナダに渡る。
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最終更新日: 2022-07-31
書いた人: たくち
Takuya Kitazawa(たくち)です。長野県出身、カナダ・バンクーバー在住のソフトウェアエンジニア。これまでB2B/B2Cの各領域で、Web技術・データサイエンス・機械学習のプロダクト化および顧客への導入支援・コンサルティング、そして関連分野の啓蒙活動に携わってきました。現在は主に北米(カナダ)、アジア(日本)、アフリカ(マラウイ)の個人および企業を対象にフリーランスとして活動中。詳しい経歴はレジュメ を参照ください。いろいろなまちを走って、時に自然と戯れながら、その時間その場所の「日常」を生きています。ご意見・ご感想およびお仕事のご相談は [email protected] まで。
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