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2022-07-31

1年4ヶ月ぶりに日本に来たら、カナダに帰れなくなって、おまけにコロナ陽性になった。

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この記事に関連する話題: ソフトウェアエンジニア、カナダに渡る。

お久しぶりです。近況報告も兼ねて、カナダ永住権取得希望または取得直後の方、および東京でコロナ陽性になった海外居住者の方に捧げます(希)。

TL;DR

  • カナダ・バンクーバーに移住してから1年4ヶ月、2022年6月に永住権を取得しました。職業・居住地選択の自由を得たので、お仕事および縁談お待ちしております。
  • 永住者が永住権カード(初回発行までは約3ヶ月)を持たずにカナダ国外に出た場合、帰ってくるためには特殊なビザが必要になる。久しぶりの日本渡航を6月に計画していた僕、この問題に直面。
  • 日本渡航後、東京でコロナ陽性になり発熱・咽頭痛で寝込む。電話口と病院で、1日に10回くらい「家がありません」「保険証がありません」「(先のビザ申請中につき)パスポートが手元に無いので身分を証明できるものが何もありません」という悲しい説明を繰り返す。東京都の隔離ホテルでの生活を含め、日本滞在期間のうち1/3を療養に費やした。
  • それでも会いたかった人たちには概ね会えたので満足。『日本での暮らし』という点でみると、移住前に抱いていた「日本サイコー」という意見は一時撤回したい。今はもう少し、客観的に母国を観察したい。

カナダ永住権をとった

canada

前職でカナダ・バンクーバーに移住してから1年と4ヶ月、2022年6月にカナダの永住権を取得した。

移民は通常、国から永住権申請の招待を受けるために、年齢、英語力、国内外での学歴や勤務経験などに基づくポイントを稼ぐ必要がある。このとき、バンクーバーを含むブリティッシュコロンビア州 (BC) には BC Provincial Nominee Program - Tech (BC PNP Tech) という技術系人材に特化したプログラムが存在して、ソフトウェアエンジニアなど一部職種のひとは雇用主のサポートの下で優遇を受けることができる。

僕の場合、移住から永住権取得までのタイムラインは次の通り。

  • (2021/02) カナダ移住。永住権取得を見越して、出国2日前に英語の試験 (IELTS) を日本で受ける
  • (2021/06) 前職のサポートの下、BC PNP Tech に応募する。
  • (2021/07) BC PNP Tech への応募が受理され、正式な永住権申請の招待が来る。
  • (2021/08) カナダで転職する。BC PNP Tech は雇用主に紐づくプログラムなので、別途変更手続きが必要になる。
  • (2021/12) 雇用主の変更手続きが完了し、再度、永住権申請の招待が来る。
  • (2022/02) 書類を揃えて、永住権を申請する。
  • (2022/06) 永住権申請が受理される。その後1週間と待たずにステータスが『外国人労働者』から『永住者』になる。

ここまでサポートしてくれた前職・現職の皆さんと移民弁護士には感謝しかない。法や制度の前では自分自身がいかに無力な存在であるか、思い知らされました。

永住権取得による主なメリットとして、職業・居住地選択の自由が挙げられる。就労ビザで滞在していると、基本的にはビザに紐付いた企業(の所在地)での就労しか認められない。そのため、昨年転職した際にはビザのサポートを請け負ってくれる大企業しか選ぶことができなかった。僕の場合、この制限を解除することが永住権取得の主たる目的で、早速次をイロイロと考えている。次のステップとしてカナダで教育を受けるという選択肢もあって、その場合も永住者は学費などの点でメリットがある。

文字通り本当にカナダに『永住』するのかと問われると、現時点ではわからない。(今のところ)世界最強の日本国パスポートを捨ててカナダの市民権を取得する気は無いし、むしろ適当にふらふらと生きたい人間なので、永住や定住という言葉には縁遠い。それでも、この1年強の間に大好きなところをたくさん見つけることができたカナダ・バンクーバーの地。今はただ、永住権取得をきっかけにより深く広いつながりが築けることにワクワクしている。

久しぶりに日本に来たら、カナダに帰れなくなった

永住権取得後、「永住権カードが手元に届くまで(約3ヶ月間)はカナダ国外に出ないことを強く推奨します」という話を聞く。曰く、永住者にとっては永住権カードが唯一のパスポート互換の渡航許可・身分証明証であり、これを持たずにカナダを出国した場合、再入国には永住者渡航証 (Permanent Resident Travel Document; PRTD) という特殊なビザが必要になるという。

かねてより日本への渡航を6月に計画していた僕は、今回の永住権取得により、見事にこの要件に引っかかってしまった。つまり「もうあなたはカナダ永住者なので、予定通り日本に行ってもいいけれど、PRTDを取得するまでカナダには帰ってこれませんよ」という話。

こうなると当然「日本渡航を諦める/延期する」が一番ラクな選択肢なのだが、目的のひとつが避けがたい家庭の事情だったということもあり、帰国便(東京→バンクーバー)の予定だけズラしてえいやっと日本に飛んだ。パンデミックを経て獲得した「『また今度』は存在しないと思え」というメンタリティに依るところが大きい。

とはいえ、このPRTDという特殊なビザの取得がなかなか厄介で、渡航の前後でめちゃめちゃ東奔西走した。

  • カナダ出国”後”に、滞在国の現地ビザセンター経由でしか申請できない
  • 郵送・持参による書面での申請しか受け付けていない
    • オンライン化が徐々に始まっているようだが、現時点では南米など一部の国のみの試験運用で日本は対象外。
  • 在日カナダ大使館はビザ業務を行っておらず、申請書類およびパスポート原本は最寄りの在フィリピン・カナダ大使館(マニラ)に転送される
  • 申請〜審査〜パスポートが手元に戻ってくるまでにかかる時間は約2週間〜2ヶ月(!)
    • カナダ出国がやむを得ない事情であったりカナダ帰国を急ぐ特別な理由がある場合、申請書類に "Urgent Processing Request" を同封することが可能で、僕もこれに従った。しかしこれはあくまで「申請者の個人的な希望」であり、必ずしも最短日数で処理してもらえるとは限らない。したがってPRTDを申請する場合、最長で数カ月間カナダに帰れなくなるリスクを念頭におく必要がある。

Urgent Request が効いたのかは分からないが、僕の場合は申請から3週間弱でPRTDの添付されたパスポートが手元に返ってきた。こんなに頑張ったのに、帰ってきたときのカナダ入国審査は一瞬で終わって「なんだかなぁ」という気分である。

日本でコロナ陽性になった

渡航後、PRTD申請を終えて、日本での当初の旅程もある程度終了したところで、発熱と咽頭痛の症状があらわれた。「マジか〜」と思いながらも、こんなご時世なので素直に滞在していた都内のホテルに籠もり、まずは東京都発熱相談センターに電話をする。

  • 症状:発熱、咽頭痛、悪寒、倦怠感、etc.
  • 想定される感染源:周囲の状況的に、渡航後に東京都内で拾ってしまったものと思われる(が、ここまでくると感染源の finger-pointing は無意味ですね)
  • 自身の状況
    • 海外居住なので療養できる『自宅』が存在しない
    • かかりつけ医とか以前に、日本の保険証が無い
    • (PRTD申請中なので)パスポートが手元になく、身分証明証の類が一切手元に無い

イレギュラーな状況にも関わらず大変親身な対応で、滞在中だったホテルの最寄りの発熱外来を複数紹介してくれた。

”第7波”が到来する直前だったので、2件目に電話をした発熱外来で運良く当日中の診察予約をとりつけることができた。高熱を出して弱っている中で「今日は予約でいっぱいで診れません」と断られる悲しさたるや・・・今、数万人〜数十万人の『軽症者』が皆一様に同じ状況にあるのだとしたら、それは本当に恐ろしいことだと思う。

病院に着くなり隔離空間での抗原検査と陽性判定、次のステップの説明を受ける。基本的には管轄する保健所の指示に従って10日間の自宅療養となるわけだが、先述の通り僕には『自宅』がないので、東京都が用意する隔離専用ホテルを利用することになる。というわけで手配をするべく電話、電話、また電話。このお役所的な情報伝播の仕組みは、感染者数が少ないうちは機能するのだろうけれど、いつパンクしてもおかしくないように思えた。難しい問題である。

すでに多くのコロナ関連のサービス・コールセンターは多言語対応が行き届いているようだが、それでも体調が優れないときに第三者通訳を介して細かい指示を受けるのは容易ではないだろう。このときほど「日本語が喋れてよかった」と思ったことはない。しかし『with コロナ』な世界では、旅行先の言葉の通じない国で突然体調を崩して隔離されるという可能性を常に考慮しておかねばなるまい・・・。

最終的に、7月6日から15日まで都内某所の隔離専用ホテルで療養生活をしていた。要は、仮にPRTDの問題がなかったとしても、結局カナダに帰れない状況に陥っていたというわけです。ワラエナイ。なお、せっかくなので(?)療養にあわせて、コロナ軽症者向けの飲み薬の治験に参加してみた。これはこれでよい経験になりました。

療養・治験の細かい記録は割愛しつつも、振り返って真っ先に思うのは関わっているスタッフの皆さんへの感謝。診察をしてくれた発熱外来のスタッフ、初日に移送してくれたタクシーの運転手の方、ホテルで対応する都の職員や看護師の皆さんなど、陽性者を相手に感染リスク”しか”ない環境下でも笑顔で対応してくれるのは、本当にすごいことだと思う。それにどれだけ救われたか。

とはいえ第7波の到来によってこの体制も崩壊しているのだと思うと、つらい気持ちになる。ちょうど僕のホテル療養期間中に感染者数の急増が始まって、途中からは1日3回食事を取りに行く際に乗るエレベータが目に見えて混雑するようになった(=同ホテルでの療養者が増えた)。Essential, frontline worker の皆さん、本当にありがとうございます。

1年4ヶ月ぶりの日本

そんなわけでいろいろあった(ありすぎた)日本渡航だったけれど、およそ1ヶ月間の滞在を経て、今週やっとバンクーバーに帰ってきた。

1ヶ月間、親族や元同僚などと良い時間を過ごすことができて、移住前には当たり前のようにそこにあった人間関係に改めて深く感謝したくなった。特に、久しぶりでも『いつも通り』に語らうことのできる、両手で数え切れるくらいのささやかな友人たちとのつながりはこれからも絶対に大切にしなきゃなぁと思ったのでした。コロナ禍も考慮すると「2019年ぶり」の人もいて、それはそれは話が尽きなかった。

人とのつながり以外で振り返ると、いくつか興味深い発見があった。

海外出張・旅行の機会を積み重ねていくと「やっぱり住むなら日本だなァ」という気持ちが自分の中でどんどん強くなっていった。[...] 母国であるというバイアス込みで判断すれば、生きる場所としてこれほど良い場所を僕はまだ知らない。

移住直後はそんなことを言っていたわけですが、しばらく日本を離れて、また久しぶりに日本を訪れて、母国と客観的に向き合ったときに自分がなにを思うのか、という点にはずっと興味があった。そして今、正直なところ、その感想は必ずしもポジティブなものであるとは言い難い。具体的なところの言語化はまたの機会に譲るとして、滞在期間中、どこにいてもそこはかとない『息苦しさ』があった。今はちょっと、自信を持って「住むなら日本」とは言えそうにない。

それはそうと、(まだ7月だったのに)日本の夏は暑かった。僕が入国した直後に梅雨が明け、40度近い気温に達し、一瞬涼しくなってまた猛暑。コロナ関係なく常に具合悪かった気さえする。

僕がバンクーバーに帰ってきたタイミングから、今度はこっちでも熱波だ猛暑だと言われるような日々が続いているわけですが、何もしてないのに海岸のアサリが茹で上がった去年よりはマシだし、(最近引っ越したのですが)エアコンなしでも快適に暮らせる程度には涼しいし、何より日本よりも湿度が低いので、日本の夏のほうがきっと辛い。

次はもっと涼しいタイミングで日本に行こう・・・そう決意した僕でした。

(次回渡航の予定は既に決まっていて、2023年1月11日〜2月13日は日本にいる予定です。その際はまた、よろしくお願いします。)

これから

バンクーバーで過ごした1年数ヶ月を振り返ると、とにかく「この地に魅せられた」。それに尽きる。都市と自然の距離の近さ、人種・食・環境といったいろいろな視点での“多様性”、背景にある先住民を主とした歴史の奥深さなど、もっと感じたい・知りたい・関わりたいと思わせるだけの魅力が多くある。その想いは、今回の日本滞在や5月に行ったアメリカ旅行などで一度離れて客観的に考えるほどに強くなる。

最近、カナダ人の友人から「君はこの1年間で、(バンクーバー近郊エリアに限って言えば)自分たちがこれまでの人生を通して訪れた場所よりも多くの場所を巡って、よく知っている」との評価をいただいた。

でも、まだまだ。カナダは広いし、僕はこの国についてまだ何も知らない。

さて、次はどうしましょう?

(帰国便で観て、ステレオタイプゴリ押しの内容に半分ウケて半分ひいた)

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最終更新日: 2022-08-06

  書いた人: たくち

たくちです。長野県出身、カナダ・バンクーバー在住のソフトウェアエンジニア。これまでB2B/B2Cの各領域で、Web技術・データサイエンス・機械学習のプロダクト化および顧客への導入支援・コンサルティング、そして関連分野のエバンジェリズムに携わってきました。現在はフリーランスとして活動を続けつつ、アフリカ・マラウイにて1年間の国際ボランティアに従事中。詳しい経歴はレジュメ を参照ください。いろいろなまちを走って、時に自然と戯れながら、その時間その場所の「日常」を生きています。ご意見・ご感想およびお仕事のご相談は [email protected] まで。

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