デジタル・マラウイ:人道的かつ倫理的、そして持続的なテクノロジーのあり方
「なにかがおかしい」という違和感と、失望。それが、およそ10年間エンジニア兼プロダクトマネージャーとして、スタートアップ、Big Tech、フリーランスと環境を変えながら働いた末に残った感覚である。携わってきたプロダクトやサービスはどれも、資本主義社会の中で「持つ者」が「もっと持つ者」になるためのメカニズムの一部であった。そこに関わる個々人の野望、熱量、才能、努力、あるいは「信仰」は素晴らしいものであるし、僕もテクノロジーの持つ力をいまだに信じ続けてはいるものの、組織が掲げる高尚なビジョンの先にあるのは「結局お金」である。そんな「当たり前」に抗い、“より良い”技術応用およびキャリアの可能性を求めて、僕は国際ボランティアとして世界最貧国の1つに数えられるアフリカ南東の小国・マラウイへと飛んだ。
▲ 僕が3か月間Pythonプログラミングを教えた現地の若者たち。
マラウイでの活動がカナダの非営利団体・World University Service of Canadaのブログで取り上げられました:Spotlight on Takuya: An Uplifting Volunteer Experience
僕のコメントがカナダ・ブリティッシュコロンビア州の国際協力団体ネットワークのニュースレターで紹介されました。
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