プロダクト開発者に求められる、これからの「倫理」の話をしよう。
キャリアを通して「ユーザ(顧客;受け手)ありきのモノづくり」を目指してきた者として、「自分がつくっているプロダクトの本質的な意義」にまつわる漠然とした不安—「ユーザのため」と言いながらも、結局は収益やサービス滞在時間を最大化するための、利己的なプロダクト開発になってはいないだろうか?という疑念—がどうしてもぬぐい切れない。
「そもそも自分は、なぜ、誰のためにソフトウェアプロダクトをつくっているのだろう?」
一時はプロダクトマネージャーへの転身も経て、そんなふうに開発者としての倫理観を問い続けてきた。ここでは現在に至るまでの思考の過程を振り返り、さまざまな理論と実践についてテクノロジー、ビジネス、デザイン、哲学などの視点で分野横断的に検討する。
▲ プロダクトチーム内の他のメンバーの役割について理解を深めることは、開発者倫理を語る上で重要なステップであると考える。たとえば僕は以前、UI/UXデザインのオンラインコースを通して、同僚のデザイナーたちの仕事に歩み寄ってみた。
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