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2021-02-21

遺言状.diff(2021年2月)

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遺言状をアップデートした。2020年5月以来、2度目の更新となる。自身の価値観の変化を鮮明に捉えることができて、やはり遺言執筆は良いものだと改めて実感した。

Changelog

遺産配分の変更

  • 親族それぞれへの配分のウェイトを調整した。
  • 言うなれば「いまこの人にどれだけ幸せになって欲しいか」度の数値化でもある。
  • 皆一様に歳を重ね、彼ら・彼女らのライフステージも時間とともに変化していくわけで。
  • 自分を取り巻く人間関係と相互の信頼性も時間とともに変化する。
  • ゆえに、少し寂しい気もするけれど、自分は(無意識的に)目の前の相手を相対評価している。その事実にきちんと向き合う。

「寄付」と「投資」の考え方を反映

  • 遺産の一部を寄付(遺贈)する意思を示した。
  • 他者からの贈与に気付き、それを受け取り、バトンを繋ぐことの意義を理解したから。(cf.『僕らは名もなき“誰か”からの贈与に気付いているか?』)
  • 非個人への遺贈によって、微力ながらもより大きな変化に貢献できることを期待して。
  • 書籍『投資の大原則』で紹介されている話にも触発された。
    • ある人は皿洗いという仕事を通してコツコツとためた資産を死後に大学(アカデミア)へ寄付した。
    • ある人は自治体に遺産を寄付した上で投資による運用を命じ、100年後・200年後にそれが公共事業のために引き出されることを望んだ。
  • その瞬間の一個人の資産でできることは限られていても、扱い方によっては額面から想像できないほど大きなインパクトを残すことができる。

メッセージ(ポエム部分)を自分の最新の価値観に沿って修正

  • 遺された人が必要以上に悲しまぬよう。
  • 先が見えない不安な世の中だからこそ「今」を生きるべきである、という考え方を強調。
  • マインドフルに生きる。欲や妄想に囚われ、変えようのない過去や存在するかわからない未来に対して無駄に“反応”しない。
  • そのことを理屈では分かっていても、いざ厳しい状況に陥ると僕らはいとも簡単に冷静さを失い、過度に悲観的(そして時には楽観的)になる。
  • 2020年は、そんな自分のざわついた心や他者の不安定な挙動に気付く機会が特に多かった。

次のバージョンに向けて

遺言状の執筆回数を重ねることで、いくつかの課題も明らかになってきた。

第一に、もっと責任ある遺言にしたいということ。

遺言を記す目的について語るのであれば、その半分はいずれ訪れる自分の死に自分自身が納得するため、もう半分は遺された人が自分の死に納得できるようにするためであると僕は思う。ゆえにその内容は、遺された人のことを想って書かれ、彼ら・彼女らの負担が軽減されるようなものでありたい。

その点、無責任な遺言を残すことは死してなお皆に苦労をかけることに他ならず、これは大変不本意である。

たとえば遺言状それ自体に法的に認められない不備があった場合、遺族内で揉め事が起こる可能性がある。あるいは何か曖昧な記述があった場合、遺言執行に多大な労力を要する。「環境保護団体に遺産を寄付します」と書かれていてもどの団体がベストなのかわからないし、「散骨を希望します」とだけ書かれていてもどこで実施すべきか不明である。

だからこそ、内容はより具体的かつ盤石なものにしつつ、公正証書遺言や遺言執行者の指定も検討したいと思うようになった。

関連して、もうひとつの課題は遺産の寄付・投資先の選定にある。

ユニセフや赤い羽根共同募金、赤十字といったすぐに思い浮かぶ有名な募金先がある一方で、世の中にはもっとミクロな問題にフォーカスして活動している中小規模の団体が無数に存在する。また、長期的に見れば義援金・募金よりも関連分野のイノベーション促進に向けた投資のほうが有意義だという考え方もできる。

J-WAVEを聴き続けた昨年はUP CLOSEなどの社会派コンテンツに触れる機会も多く、そのような話題に対する感度が高まった気もしていたが、まだまだである。社会の動きに対してもっと高くアンテナを張り、そこから自分なりの答えにたどり着く必要がある。

自分が本当に大切にしたい「社会」。その本質は『じぶんローカライズ元年:慈しみから生まれる深いつながりを目指して』に記したとおりであり、そのための第一歩は既に踏み出している。

SFが現実になってしまった世界で「死」と向き合う

先日、小松左京・著『復活の日』を読んだ。

細菌兵器の流出によって人類がウイルスという「見えざる敵」に駆逐されてゆく話なのだが、ストーリーの半分は新型コロナウイルスが蔓延した今の地球とそう遠くない状況が描かれており、これはもはやフィクションとして読むのが難しいレベルであった。

グローバル化の影響で地球上に猛スピードで拡散されるウイルス。資本主義の果てに得られたこれまでの“豊か”な生活を振り返り、問題を先送りにしてきた人類の怠慢を嘆く学者。死の淵に立ってなお、自国や個人の利益のためにのみ行動する人々。これで初版が約60年前の発行だというのだから、小松左京という作家の力量にただただ驚かされる。

長い長い地球の歴史の中で、いつから人類だけが生物として特別だと錯覚していた?いつから自分だけは大丈夫だと、そんな問題は関係がないと思い違いをしていた?人はいずれ死に、人類はいずれ滅びる。その事実を、なんともまぁ絶好のタイミングで突きつけられてしまったわけだ。

昨年、我々の“当たり前”だった世界はある意味で一度「死」を迎えた。しかし同時に、『復活の日』の結末は(そのタイトルが示すように)「救いようのないほど悲劇的なもの」でもない。むしろ大変希望に満ちた、想像力を掻き立てられる終わり方をする。

そう、「死」と向き合って初めて見えてくる可能性というものも存在するのだ。

その点、遺言状を記すことは最もお手軽に自分の「死」と向き合うための手段のひとつであると言えよう1。今を見つめ直し、自分だけの絶対的な価値観の下で次の一歩を踏み出す。これはなかなか清々しいものですよ。

1. 他方、当然ながら他者の「死」に向き合うことにはまた別の難しさ、辛さがあることは明記しておきたい。

  書いた人: たくち

たくちです。トレジャーデータでデータサイエンス・機械学習のプロダクト化および顧客への導入支援・コンサルティング、そして関連分野のエバンジェリズムを担っています。趣味は旅行、マラソン、登山。コーヒーとお酒とハンバーガーが好き。長野県出身。ブログへのご意見・ご感想、お仕事のご依頼など、@takuti または [email protected] までいつでもお気軽にご連絡ください。

※当サイト上での発言は個人の見解です

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