Netflixの "Inside Bill's Brain" で Think Week に入るビル・ゲイツの映像を見た。これに影響されて、今年のゴールデンウィークは家にこもり、スマホとPCの電源を完全に切って本を読み込んでいた。
最近の個人的な興味は、物事の裏側にある「ストーリー」や「コンテクスト」の持つ力にある。
表面的なデータ分析では測ることのできない、もっと深いところにある“なにか”。顧客に寄り添い、個の存在を重んじ、パーソナライズされた体験を提供する・・・その意義はなんとなく分かるのだけど、同時に、こういう話はどうも抽象的で掴みどころがない。誰かその本質をもっと論理的に説明してくれないだろうか?
そんな疑問から、プロダクトに対して僕らが抱く印象や判断に影響している“なにか”を探るべく、認知科学・行動経済学への入門をテーマに計10冊ほど読んだ。
読むべき分野がすぐに定まったのは、過去に『誰のためのデザイン?』や『ファスト&スロー1』をかじっていたからである。
デザインが“自己説明的”であることの重要性を一貫して説いている。つまり、要素間に自然な対応づけを与え、適切なフィードバックを返すデザインであれ、ということ。それを豊富な具体的な事例と心理学・認知科学的な知見で裏付けていて、くどいくらい濃い一冊だった(褒め言葉)。読んでいる途中でアメリカに行ったら、頭のなかが「あっ、これは押すことをアフォードするドアだ!」「なんだこれは!酷いデザインだ!」といった感じで楽しかったです、ふふふ。
誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 たくちさんの感想 - 読書メーター
(1) 僕らの脳は直感に頼ることでしばしば間違いを犯す、(2) なぜなら、世界は過去の経験から予測できるほど単純ではないから / 世の中の、そして人の見方が変わる一冊。第3部からが具体的かつおもしろいところだと思うので、早く下巻も読みたい。直感 vs. アルゴリズムの話が特におもしろかったけれども、機械学習で特徴ベクトルの設計がもはや職人技であるように、実際はアルゴリズム(単純な数式)に組み込む変数選びが難しい。統計的なモノの見方の大切さは、下手な統計学ゴリ押し本よりもはるかによく伝わった。
ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? たくちさんの感想 - 読書メーター
以下、読んだ本を振り返りつつ、認知科学から行動経済学へ、行動経済学から「ストーリー」「コンテクスト」の重要性の理解へと至った、僕のゴールデンウィーク5日間読書の旅の記録をまとめたい。
認知科学という分野を俯瞰する
認知科学とは非常に学際的な分野だが、4冊も入門書を読むと頭の中にぼんやりと世界地図ができてくる。
しかしこの地図がどれだけ鮮明になろうと、それが脳や心の何たるかを正確に教えてくれることはない。
過去、いろいろな角度から研究されてきた人間の認知機能。このはたらきを完全に理解して記述するのはどだい無理な話であり、個人個人のレベルで、記憶や経験、周辺環境といった様々な要因との相互作用の上に全てが成り立っているのだ。
かといって「結局なにも分かっていないんじゃないか」と幻滅することはない。その事実を受け入れ、応用することで、意図的に認知をコントロールすることだって可能なのだ。デザイン科学やモチベーションコントロールといった話がこれにあたる。ヒトというシステムに生まれながらにして実装されている“曖昧さ”を逆手に取って、物事とのより良い関わり方を探る。認知科学とは、そんな前向きな学問なのである。
『認知科学への招待』— 実世界を抽象化することの難しさ、そして“最適解”はひとりひとりは異なるという事実を知る
脳をブラックボックスとして扱う構造主義から、その内側のはたらきを記述することを目指した機能主義へ・・・人間のふるまいを理解するための試行錯誤の歴史を辿ることができる。さらに、文法(統語論;点)と文脈(意味論;全体)のあいまいな関係から、「情報が環境に埋め込まれている」ことを説いたアフォーダンスの理論を例に挙げ、現実世界をモデリングすることの複雑さを説明している。
現実世界において、すべての人間にフィットする大域的な最適化を行うことは不可能であり、人の数だけの局所解が存在する。もっと言うと、一人ひとりの主観的な世界(次元)において、異なる大域解が存在している—筆者の提唱する超情報場という考え方は難しいけれど、「コンテクスト」のような漠然としたものを説明する重要な何かなのだろうという感覚がある。
『心と脳』— 心・脳・社会の三者間の相互フィードバックがうまくはたらいている状態こそが最適である
心と脳を情報処理システムとみなし、それらのはたらきを心、脳、そして外界(社会)との間の情報のやりとり(相互作用)という形で説明している。この抽象化がうまいなと思った。“情報がどのように処理されるか”といシンプルな枠組みで我々の認知・行動を考え、そこから得られた知見がいかに現実の問題に応用できるかを議論していて、読んでいて非常にワクワクする。
ポイントは、心・脳・社会の三者間の情報処理メカニズムがかみ合い、情報の相互フィードバックがうまくはたらいているか否かだ。
たとえばデザイン。人の心や脳ができるだけ自然に働き、円滑な相互作用を促すことがインタフェースの役割であり、それがアフォーダンスの理論が示すところでもある。
また、我々が物事に集中できないとき、没頭できないとき、あるいは不満が募っているとき、行動と「やりたくない」「つまらない」といった感情の不一致による無駄な情報処理が発生していると考える。
自分にとって自然な、気持ちのいい状態とはなんなのか。それを考え、自分というシステムが正常に機能するよう促すことが肝要だという気付きがある。
『考えることの科学』— “最適な状態”のときに生じる、論理と直感のズレを紐解く
我々の日常に存在する論理や推論がいかに「PならばQ」といった形式論理、あるいはベイズの定理で導出される数学的な解と一致しないかを示してくれる。
P, Qによる抽象化が行き過ぎたものであるのは自明として、変数の中身や事前知識という「コンテクスト」に想定するものが「事前確率」の形で埋め込まれた確率的推論ですら直感に反することがあるのはなぜか。
この根底には「相関≠因果であり、両者を推し量るのは全く違う難しさがある」という事実が存在する。
数式で記述される世界では、2変数 (P, Q) だろうが4変数 (P1, P2, Q1, Q2) だろうが、有限個の選ばれた変数たちを証拠として扱い、そこから最も合理的な関係性を見つけ出す。同一の問題に対しては、未知の値を予測することだってできる。
一方で、我々は過去の経験や目につく無数の情報から都合よくパターンをみつけ、ルール化してしまう単純さを備えている。ゆえに因果とは、ごく個人的な点群の複雑な相互関係によってもたらされる結果であり、そこには曖昧さや不合理さを多分に含んでいるのだ。
「ステレオタイプ」「認知的不協和」「同調」・・・僕らはこんなにも周囲の社会的要因に流されやすい。形式論理・統計学の限界を知ると同時に、これらのツールがバイアスや錯誤をうまく排除して抽象化してくれているからこそ、幅広い問題に対して尤もらしい推論が可能になっているのだと理解する。
『基礎から学ぶ認知心理学』— 認知機能に作用する多様な要素を俯瞰し、その曖昧さを受け入れる
これは非常に教科書的な一冊だったので評価が難しいが、これまで挙げた入門書の知識(脳、心、認知、記憶、行動のしくみ、そしてその歴史)が網羅的にまとまっている。
一番最後に読んだのは正解だった。ここまでの数冊によって自分の頭の中にできていた認知科学という分野のざっくりとした世界地図が概ね正しいものであるという確信が得られると同時に、体系的な解説が理解をうまく補完してくれた。
おもしろかったのは「“覚えすぎ”は発想の邪魔になることもある」という一節。思い出や経験といったインデックスに大いに影響され、いともたやすく錯覚を起こす我々の認知機能。“知らないほうが幸せなこともある”のだ。
そして行動経済学へ
なるほど、どうやらヒトは生まれながらにして理屈では説明できない行動をとる生き物らしい。
しかし十人十色の認知の中にも、なにか規則性のようなものがあるのではないか?
そこに答えを与えるのが行動経済学である。環境や感情による様々な不合理性を受け入れながらも、我々に「必ずしも得にはならない選択」をさせている不思議な力について、より具体的な説明を試みるのだ。
『予想どおりに不合理』— 日常の「あるある」から学びを得る
ずっと不思議だった。外食に行くと1食1000円とか支払っているはずなのに、スーパーで野菜を買うときには数円〜数十円の価格変動で一喜一憂し、目の前の白菜を買うべきか思案している自分が。
一人暮らしをはじめてから10年弱、長いこと抱えていたこの疑問に第一章でアッサリと答えが示されてしまい、思わず笑ってしまった。
そんな「あるある」からの「なるほど!」が何度も繰り返される、素晴らしき読書体験だった。
一度規則性を理解し「なるほど」の瞬間が訪れると、認知科学よりも具体的なかたちで応用をイメージすることができる。僕のメモに書かれた Takeaways は次のようなもの。
- 幸福とは相対的なものであり、自分の相対的な立ち位置を能動的にコントロールすることで幸福を勝ち取ることもできる
- 自分の“いつもどおりの選択”、“当たり前の行動”を疑ってみる
- 無料が選択に与える魔力を理解し、それを選ばない勇気を持つ
- 金の切れ目が縁の切れ目。真に大切な繋がりには市場規範を持ち込まないこと
- 相互作用とその不確かさを内包した社会規範によってこそ、僕らは利己的ではない方向へ動き、他人に優しくなれる
- 感情の揺れや興奮は判断を大きく変えることを理解し、冷静でないときにそれをいち早く察知できるようになる
- 自制の第一歩は、宣言と締め切りの明確な設定によって“守らざるを得ない環境”を作ってしまうこと
- なにかを“所有している”という事実はモノであれ地位であれその後の判断にバイアスを与える。一度その対象と距離をおいて、非所有者として見つめ直してみる2
- 悩んでいる間に失う機会の大きさを知れ。一刻も早く選択をし、他に存在する無数の選択肢に惑わされないことのほうがはるかに有意義
- “先入観”によって経験は大きく変わる。事前知識や準備された環境をより良いものにする努力を惜しむな
- 信念や思い込みの力を軽んじないこと
別に自己啓発やライフハックの本を読んだわけではない。ただ、自分が日常的にしている(あるいは今後する可能性のある)誤った行動や選択、失敗が“仕方のないもの”なのだと一度説明が与えられると、それを踏まえた上で具体的な回避策が立てられるというものだ。
『かくて行動経済学は生まれり』— データの限界を知り、それを意思決定の科学で補う
行動経済学とは、数式やデータでは予測できない人間の意思決定プロセスを紐解く学問である。
徹底したデータ分析によって弱小球団を成功へ導いた物語『マネーボール』の著者がこの分野に関する本を書くなんて、それだけでワクワクするじゃあないですか。
確かにデータ分析は安定して「マシ」な答えを導いてくれる。しかし、与えられたデータや変数の範囲内でしか問題を解くことができず、限界があることを忘れてはいけない。Garbage In, Garbage Out と言われるように、探索可能範囲を超えた無意味なデータ分析の乱用は「直感のほうがマシ」なゴミを生成するだけであり、非常に危険だ。
だからこそ、意思決定の最適化には人間とデータの両方の視点が必要となる。
このような観点から、意思決定の科学の歴史を平易におもしろく説明しているのが本書。冒頭で挙げた『ファスト&スロー』の著者・カーネマン先生の伝記ともいえる。
人間の直感には系統的な間違い方が存在し、それはヒューリスティクスや損失回避といった考え方で見事に説明ができる。その結論だけ聞いてしまえば「なにを当たり前のことを」と思うかも知れない。だって僕らの行動はいつだって“予想どおりに”不合理なのだから。しかしそこに至るまでの研究者たちの道程を振り返ると、その業績の持つ意義を改めて思い知らされ、ただただ震える。
不合理さは「コンテクスト」によってもたらされ、ゆえに「ストーリー」が鍵を握る
繰り返しになるが、僕らの行動・選択は認知科学で言うところの記憶や経験、そして行動経済学においてはヒューリスティクスや損失回避の本能として説明されるものの存在に大いに依存する。
この言語化することのできない、過去の記憶や経験と目の前の事象が結びついた今この瞬間の状態こそが「コンテクスト」であり、僕らはそれを都合よく受け取り、解釈し、不安(直感的損失)が少ないものを正として判断を下す。
ならば、プロダクトやサービスを提供する者がすべきことはなにか?それは「ポジティブな記憶・経験と容易に結び付けられるか」「ヒューリスティクスが効果的に働くか」「無意識的に想像してしまう損失を上回るだけの魅力があるか」といった問いに答えることであり、いずれもデータ分析や機能面での改善だけでは達成されない、『個』を深く理解することが求められる問題だ。
だからこそ、モノと人間の間の関係を記述するためのツールとして、あるいは両者の間により強固な関係を築き上げるための媒体として「ストーリー」が必要なのだ。
『ジョブ理論』— データよりもストーリーを、相関よりも因果を
『イノベーションのジレンマ』の著者がプロダクト開発の極意を綴った一冊。
ジョブ理論の肝は「ユーザはどんな“ジョブ”を片付けたくてプロダクトを“雇用“するのか」という問いに答えること。すなわち、ユーザが何に苦労しているのか(抱えている問題)を明らかにし、そこに具体的な解決策と体験を提示すること。これこそがプロダクト開発の成すべきゴールである。
当たり前だと思うだろうか?ここで、ジョブは特定のコンテクストに関してのみ定義可能であるということを覚えておきたい。粒度が重要であり、ジョブから得られる知見は数字ではなくストーリーの形で現れるのだと著者は強調する。
ユーザが片付けたいジョブは、ペルソナや問題のカテゴリ、データといった抽象化された情報からは得られない。個々のインタビュー結果をそのまま受け取り、まずはユーザの行動からストーリーボードを描き起こすのだ。一次情報を重視するこの考え方は『イシューからはじめよ』や『リーン・スタートアップ』の内容に通じるものがある。
客がほしいのはクールなプロダクトではなく、彼らの抱える目先の問題への具体的な解決策である。
著者は人間の行動に潜む不合理さの存在を理解している。だからこそ、ジョブ理論ではデータではなくストーリーを見る。そして相関ではなく因果を探り、プロダクト、ひいては組織のプロセスの細部に至るまでをストーリードリブンで最適化するのだ。
『デザインはストーリーテリング』— ストーリーを効果的に伝えるための道具箱
「デザインは問題解決」とはよく使われる表現だが、本当に問題解決だけがデザインの役割なのだろうか?見た目から受ける印象や感情のような、ふわっとしたものが介在する余地はないのだろうか?
そのような視点から、認知科学・行動経済学的知見を応用した具体的なデザインテクニックを「ストーリーを効果的に形成して伝える」という目的に沿って紹介している。
製品が本来持つアイディアや意図を、どれだけ正確かつ鮮明にユーザに転送できるか。これこそがデザインという仕事の真の目的であり、概念的なものを形あるものに変換するという点において、デザイナーは優れたストーリーテラーでなければならない。
人間は常に(意識的にせよ無意識的にせよ)目の前の事象にパターンを探しており、それが崩れて脳と知覚の間に不一致が生じると戸惑ってしまう。このギャップを埋めることこそがストーリーの役割であると言えよう。
『D2C』— ジョブ理論の実世界での例
「ストーリー」を重視したプロダクト開発の実例集として『D2C』は非常によくまとまっている。
「プロダクト機能ではなくライフスタイル(世界観)を売っている」というD2C企業の特徴が、不合理さを受け入れた先のブランドがあるべき姿を言い表していると思う。
ブランドをメディア化し、顧客に対して絶えず語りかけ、世界観を伝えることで感情を揺さぶる。もちろん感情も「コンテクスト」の一要素だ。『デザインはストーリーテリング』いわく「感情は、論理的な人間という生物の心理メカニズムを機能させるために必要な燃料」である。
D2C企業の抱える課題として、コモディティ化への回帰が挙げられている。ある程度成長したD2C企業は、ビジネスをスケールさせるべく、結局最後は従来のマスアプローチを取らざるを得なくなるというジレンマ。しかしそこで折れたのであれば「ジョブ理論の実践」とは言い難い。問題は、語りかけをどこまで徹底して深く実践できるかだろう。
個人的には、昨今のCOVID-19による困難な状況下でこそD2Cブランドの真価が問われると思っている。実店舗はすべてクローズし、コミュニケーションが100%オンラインにシフトした今、それでも顧客に語りかけ続け、寄り添い続けられるか?プロダクトやブランドがジョブドリブンで創られたものなのであれば、今すべきことも明確だろう。
認知科学・行動経済学は勇気を与えてくれる
以上、ゴールデンウィークに読んだ本を振り返り、(多少強引ではあったが)点と点をつないでみた。
「勇気づけられた」・・・これが今回の読書体験の素直な感想である。認知科学あるいは行動経済学という学問は、自分がいかに不合理な生き物であり、おかしな選択や意思決定が“仕方のないこと”なのかを説く。そして、そのおかしさを認め、納得し、折り合いをつける術を探るために、具体的な理由と根拠を提示する。なんて前向きな学問なのだろうか。
エラーやバイアスの存在を見越して改善の方向を探る一連の議論から、プロダクト開発に活かすべき重要な知見も得た。「ストーリー」や「コンテクスト」という考え方がぐっと身近に、具体的なものに感じられるようになった気がする。
1. 下巻はまだ読んでいない。 ↩
2. 断捨離をするのであれば「持っていなかったとして、再び手に入れるためにどれだけのコストを払えるか?」と自問しよう・・・という大変良い記述を過去にどこかで読んだ気がするのだけど、思い出せない。 ↩この記事に関連する話題: プロダクト開発者に求められる、これからの「倫理」の話をしよう。
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最終更新日: 2022-09-02
書いた人: たくち
Takuya Kitazawa(たくち)です。長野県出身、カナダ・バンクーバー在住のソフトウェアエンジニア。これまでB2B/B2Cの各領域で、Web技術・データサイエンス・機械学習のプロダクト化および顧客への導入支援・コンサルティング、そして関連分野の啓蒙活動に携わってきました。現在は主に北米(カナダ)、アジア(日本)、アフリカ(マラウイ)の個人および企業を対象にフリーランスとして活動中。詳しい経歴はレジュメ を参照ください。いろいろなまちを走って、時に自然と戯れながら、その時間その場所の「日常」を生きています。ご意見・ご感想およびお仕事のご相談は [email protected] まで。
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