『自分の小さな「箱」から脱出する方法』という本を読んで、なんというか、いろいろと恥ずかしくなった。
正直、内容をまとめて感想を言語化するにはとても難しい一冊だった。それでも今すぐなにか書いて咀嚼すべきだと思ったので、がんばってキーボードを叩いてみる。
『年報(2018)』で2019年の目標を次のように記した:
来年の目標は「もっといいものを食べる」「ひとを信じない」「ていねいなコミュニケーション」の3本です。
ここではこの話をもう少し掘り下げたい。
去年の自分は控えめに言って最悪だった。あるタイミングから生活リズムが乱れ、こころはゆるゆると不安定になり、いとも簡単に感情をコントロールすることができない状態に陥った。べつに突然暴れたりするわけではないけれど、些細なことでイライラし、結果として人との接し方がひどく雑になったと自覚している。
だから今年は状況を改善して「ていねいなコミュニケーション」を心がけたいと思ったのだ。
さて、現状を打破するためには諸悪の根源を突き止める必要があるわけだが、僕はこれまでそれが常に“相手”にあったと考えていた。
- なぜ目の前のこのひとは、こんな当たり前の振る舞いができないのか。
- なんで自分がこんなことをしなきゃいけないんだ。
- もとはといえば、あの人があんな言動をしたのが原因だ。
今振り返ると本当に愚かだが、勝手に相手に期待し、それをことごとく裏切られ、種々の不満を募らせていた。だから来年はもう「ひとを信じない」のだと。相手に期待せず最初から疑ってかかれば問題が発生しても落差は小さく、こころに波風が立つことも減り、いずれ「ていねいなコミュニケーション」ができるようになるはずだと。
しかし、このように「相手が悪い」と考えていた問題の多くは、実は自分自身に原因がある―この事実こそが『自分の小さな「箱」から脱出する方法』を読んで得られる気付きである。
本書のキーワードのひとつに『自己欺瞞』というものがある。辞書いわく、
自分で自分の心をあざむくこと。自分の良心や本心に反しているのを知りながら、それを自分に対して無理に正当化すること。
自己欺瞞(ジコギマン)とは - コトバンク
「こうしたほうが良いはずだ」と頭では分かっていても言動には移さず、その結果生じたネガティブな状況下では本心に反した自分を正当化するために相手を非難する。
たとえば誰かの仕事を傍から見て「あぁ、あれじゃいつか絶対破綻するな。早くなんとかしないと」と思ったとする。でも「まぁ自分には関係ないし」「面倒だし」ということで、なにか指摘したり、手を差し伸べることはなかった。しばらくしてその人の仕事がコケて、巡り巡って自らも実害を被ったとき、僕らは何を思うか。
- ふざけるな、あの無能め。
- なんで俺がこんな目に!
- なんでこんな失敗をするんだ。もっと早くこうしておけばよかったものを…。
人間なんてそんなものである。このとき、自己を絶賛正当化中の僕らは「箱」に入っているのだと本書はいう。何もかも相手が悪くみえてしまうフィルターで覆われた箱の中に。
僕の場合、「勝手に相手に期待し、それをことごとく裏切られた」と先述したが、はたしてその“期待”を直接相手に伝えたことがあっただろうか。お互いの理解をすり合わせて、相手を導く努力ができていたのだろうか。ある局面で取るべき“より良い”行動が頭では分かっていたはずなのにそれを実行せず、訪れた不都合な結果に対して「裏切られた」とは、格好悪すぎるではないか。
自己欺瞞は自己中心的な思考を生む。そして一度「なんもかんも相手が悪い」思考に陥ると、そこから抜け出すことは容易ではない。職場だろうが家庭だろうが街中だろうが、常にそんな負の思考回路で相手を見ることになる。
そんなわけで、「ていねいなコミュニケーション」を実現するためのカギは『自己欺瞞』を認識することにあり、「ひとを信じない」ことではなく、「自分を疑う」ことこそが真に必要な営みのようだ。選択肢を踏み間違えてバッドエンドを迎える前に、自分に問題があるという可能性も踏まえて一度立ち止まってみてはどうか。
その上で、どう考えてもやっぱり相手が悪いというのなら、そのときは努めて冷静に対応せねばなるまい。相手もこちらと同じ人の子である。誰しも間違いはあるし、ひとりひとりいろいろな状況下、精神状態で生きている。「この人だってきっと大変なんだ」「なにか理由があるんだろう」という発想に至り、相手を尊重することのできるものに、わたしはなりたい。
過去の自分を省みて、本当に恥ずかしくなった。相手を物ではなく人として尊重する。枡野俊明さんの『図太くなれる禅思考』に書かれていた「自分に厳しく、他人には寛容であれ」「他人を自分が望むような人に変えることなどどだい無理な話」という内容を思い出した。
自分の小さな「箱」から脱出する方法 たくちさんの感想 - 読書メーター
結果に対して相手を非難し怒るのか、それとも冷静に「まぁ仕方なし」と受け入れるのか。意識的にせよ無意識的にせよ、その判断は間違いなく日々自分の中で行われているわけで。選べるのなら、後者のほうが良いに決まっているでしょう。
なお、あとひとつの目標「もっといいものを食べる」はそのままの意味です。
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書いた人: たくち
Takuya Kitazawa(たくち)です。長野県出身、カナダ・バンクーバー在住のソフトウェアエンジニア。これまでB2B/B2Cの各領域で、Web技術・データサイエンス・機械学習のプロダクト化および顧客への導入支援・コンサルティング、そして関連分野の啓蒙活動に携わってきました。現在は主に北米(カナダ)、アジア(日本)、アフリカ(マラウイ)の個人および企業を対象にフリーランスとして活動中。詳しい経歴はレジュメ を参照ください。いろいろなまちを走って、時に自然と戯れながら、その時間その場所の「日常」を生きています。ご意見・ご感想およびお仕事のご相談は [email protected] まで。
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