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2023-11-30

アフリカ・マラウイにおけるコンピュータ・プログラミング教育。その先に「未来」はあるか?

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  この記事に関連する話題: デジタル・マラウイ:人道的かつ倫理的、そして持続的なテクノロジーのあり方

子どもたちの存在は、希望だ。貧困、粗削りなインフラ、身近にある死・・・現在がどれだけ厳しくても、彼ら彼女らの存在によって僕らは「未来」を語ることができる。それが、人口の約半数が18歳未満の国・マラウイに着いてすぐに僕が本能的に理解したことのひとつである。

この地で若者たちに寄り添い、持ちうる限りの知識と技術を共有し、共に考え、未来を創ってゆくこと。とても難しいのだけれど、それが今この瞬間の僕のミッションだ。この点において、Conor Grennanが著書 Little Princes: One Man's Promise to Bring Home the Lost Children of Nepal の中で自身のネパールでのボランティア経験をもとに語った、子どもを“救う”ことに対する希望・葛藤・苦悩の日々には共感するところも多い。

国際開発の文脈における「子どもを中心とした未来づくり」、それは往々にして「教育」を通して彼ら彼女らの成長と自立を促す営みを指す。ボランティアとしての活動をはじめてから、国際団体や諸国家による開発プログラムや助成金の類をリサーチすることも増えたが、子ども(特に女性)の教育・スキル向上をねらう取り組みの多いこと多いこと。きっと、ドナーにとって教育はわかりやすく語りやすい「未来への投資」なのだろう1

そんな中、僕も縁あってマラウイ政府主導のDigital Malawiプロジェクト配下の一部事業に携わっており、いち技術者として現地のデジタルスキルトレーニングや学校のコンピュータ教育の現場を視察したり、受講生や学生、卒業生とお話(そして時にメンタリング)をしたり、トレーナーとして現地の若者にプログラミングを教えたりする機会を得た。

computer-programming-trainees ▲ 僕(上段右端)がプログラミングを教えている若者たち(参考:Malawi's Mzuzu e-hub empowers youth through tech

とはいえ、投入されている莫大な金銭的・人的リソースの割には全体的に“中途半端”・・・というのが正直なところで、未だ課題山積といった印象を受ける。個人的に特に懸念しているのは次の3点で、このシステミックな課題にいかにアプローチするかが、マラウイにおける各種コンピュータ・プログラミング教育およびトレーニングの「成功」を決定づけるといっても過言ではないだろう。

  1. 現地コンテクストに最適化されない、画一的なカリキュラム
  2. トレーニングそれ自体の質と実用性を測れないKPI設定
  3. ロールモデル不足による「プロフェッショナル」を定義し、育成することの難しさ

現地に最適化されないプログラムに意味はあるか

何かを「教える」って、当たり前だけどすごく難しいことだ。それが情報通信技術のようなコンテクスト依存の科目であればなおのことで、先進国の「ベストプラクティス」に沿った画一的なカリキュラムはまず機能しない。

現地のコンテクストに沿った慎重な実装がなされないと、どうなるか?それは、資金援助をする側(ドナー)あるいはプログラムを実装する側の自己満足的な「KPI達成のためのトレーニング」だ。そこで提供されるのは「N人の子ども・女性にリーチした」といった指標を満足するためだけに用意された、コピペ可能で退屈かつ非実践的なコンテンツ。この場合、プログラム計画段階から一貫して「応用を支えられるだけの生活・経済(ビジネス)・技術基盤が整っていない」という極めて重大な文脈が抜け落ちているので、教育・トレーニングの結果得られたスキルが若者たちの新たな収入源・雇用機会につながることは稀である。

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▲ コンピュータ技術トレーニングの修了式に参加した。この後で、いかにして獲得したスキルを活用する機会を創出していくかが課題。

このような理想(未来をつくるためのコンピュータ教育)と現実(現地の生活・経済・インフラにフィットしないことによる持続不可能性)の乖離は、何も途上国に限った話ではない。先進国のトップクラスの大学でさえ「コンピュータ技術の入門教育」はとても難しいお題であるに違いない。基礎と応用のバランスをとりながら、学生たちにその技術の本質と、エキサイティングな未来を見せる・経験させるというのは、画一的なカリキュラムを携えて一朝一夕で準備できる類のものではないはずだ。それをインフラさえ整わぬアフリカの小国で実現しようというのだから、入念な計画と調査、準備が必要だと思うのだが、残念ながら「質より量」で粗雑な取り組みが散見されるのが実情であるようだ。

「誰が、どのように教えるか」という教育の質にまつわる問題

そもそも教壇に立つ側(先生、講師、トレーナー)が、教えるトピックについて十分理解していない(理解するための職能開発の機会が存在しない)。したがって、仮に練りに練られたカリキュラムがあったとしても、受講生にとっては極めて“浅い”トレーニング体験となる。テキストに書かれた内容をなぞるばかりであったり、受講者からの質問に対応できなかったり、個人個人の理解や興味に応じた柔軟かつ実践的な対応ができなかったり。

そのような現状を観察して最初に想起したのは、僕が工業高校や大学で情報技術を学んでいた時の光景だ。教科書の記述に忠実に従うので授業は退屈・・・というか、実際になんの役に立つのかイマイチわからないので、テストという"KPI"のための学習と資格取得に勤しむ日々。教師陣が実践のプロかというとそんなこともなく2、生徒間での理解度・モチベーションも異なるので、応用やキャリア形成、いちプロフェッショナルとしての人材育成というところまで話が広がらない。結果として、良い成績とたくさんの資格を抱えて卒業したものの、はて、この先自分は一体どうすればいいのだろうか?と。

途上国の未来をかけた教育・トレーニングプログラムの現場でそんなアカデミア的アプローチをとることが「正解」だとは、僕は思わない。カリキュラムを修了した「後」に繋がらないので、どれだけお金を注ぎ込もうと、何人の若者にプログラミングの基本を教えようと、いつまで経ってもこの国の内側で技術が育ち、製品・サービスの質が向上するということは起こり得ない。このような背景からか、最近ではTraining of Trainers (ToT)型の国際開発プログラムをよく見かける。

特定の国・コミュニティ・年代・性別に対して第三者が直接サービスを提供していた従来型の開発援助とは異なり、ToTは現地人の中から「未来のトレーナー」を募って、彼ら彼女らに対してピンポイントで特定のスキルを叩き込むという“間接的な”開発支援。将来的には、現地のことをより深く理解している彼ら彼女ら自身がサービス開発やスキル継承を牽引することで、現地主導の、現地人による、現地人のための活動を促す。第三国におんぶにだっこでトレーニングを受け、それだけで満足してしまって中長期的には結局何も変わらない。そして産業・経済は停滞(あるいは後退)する・・・そんなシナリオには、いい加減みんなうんざりしているのだと思う。

深刻な「プロフェッショナル」不足

ToT的モデルの理想は、現地コミュニティで自律的にサービス開発、スキル継承、雇用機会創出のサイクルが回ることであると理解している。とはいえ、先の通り計画・準備段階での現地コンテクスト理解に課題があるので、「ToTにしたから万事解決」という話でもない。問題はシステミックかつ相互依存であり、ゆえにいつまで経っても国内でまともな人材が育たない。

先日、マラウイ国内で車に乗っていたところ、郊外で突如数百メートルだけ異様に綺麗に舗装された道路(橋)が現れた。その前後に続く道はマラウイのよくあるガタガタボコボコ道だったので違和感を覚えたところ、現地人の同僚が「ここだけ日本人のボランティアがむかし土木工事して綺麗にしてくれたんだよね。やっぱり質が違う。でもその前後の道は何も変わっていなくて・・・ねぇ、なんとかしてよ?」と言ってきた。現地に根ざさない、持続不可能な国際開発の例を見た気がして悲しくなった。

ことソフトウェア開発技術に関して見ると、土木技術よりも敷居が低い分もっと事態は深刻。中途半端なスキル継承の先にあるのは、「ちょっとプログラミングをかじった」程度の者たちによる「その他大勢の脆弱な人々」からの搾取だ。こちらに来てから何人かの現地人の「ソフトウェアエンジニア」や「起業家」と仕事をしたが、彼ら彼女らのスキルや経験はお世辞にもプロと呼べるほどのものではない。結果、マラウイ国内には何ヶ月〜何年経っても完成しないスマホアプリ/ウェブサイト開発プロジェクトの話がゴロゴロ転がっている。あるいは、そんな「高度な技術なんて誰もまともに解っちゃいない」現状を逆手に取って、明確な悪意を持って仮想通貨詐欺などに走る輩もいる。どれだけ教育やトレーニングを提供しても、この現状が変わらぬ限りその全てにあまり意味はない・・・それどころか、下手な技術継承はしないほうがマシとさえ思う。

とはいえ、誰でも最初は「初心者」であったわけで、自称ソフトウェアエンジニア・起業家の彼ら彼女らにはあまり非はない。問題なのは、それを正しく矯正・コーチングできるだけの人材の層の厚さと、高品質・実践的な教育プログラムを提供するだけの土壌がないことだ。加えて、粗悪な人材やサービスを淘汰するだけの競争が市場に存在しないこともまた、マラウイという国の未来を語る上で重要な課題だろう。

このような現状を打破するためには、より長期目線で現地の人・組織が主体となって「小さな成功体験」を積み上げていく必要があると、僕は考える。最近、そのような話を「マラウイにおけるデジタル化の意義と、その第一歩」「組織間パートナーシップに基づく、エコシステム構築の重要性」「さまざまな取り組みの『持続可能性』」といった視点からマラウイ国内20組織のリーダーたちが集うイベントで議論した。

keynote ▲ 当該イベントで(なぜか)キーノートスピーチをする僕

結局のところ僕は「よそ者」であり、「やらないこと」を判断する機会・「やれないこと」を理解する機会のほうがずっと多い。それでも、この国と若者(特に子ども)の未来のために、自分の技術・経験が何か少しでも役に立たぬものかと頭を抱え、試行錯誤する日々である。

1. 他方、環境問題や公衆衛生のような差し迫った生々しい課題は数段難易度が高く、成功と失敗の線引きもシビアである印象を受ける。
2. それでもごく稀に一般企業を経て教員になった方々がいて、そんな先生の授業には他とは違う「何か」があったと記憶している。
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最終更新日: 2023-11-30

  書いた人: たくち

たくちです。長野県出身、カナダ・バンクーバー在住のソフトウェアエンジニア。これまでB2B/B2Cの各領域で、Web技術・データサイエンス・機械学習のプロダクト化および顧客への導入支援・コンサルティング、そして関連分野のエバンジェリズムに携わってきました。現在はフリーランスとして活動を続けつつ、アフリカ・マラウイにて1年間の国際ボランティアに従事中。詳しい経歴はレジュメ を参照ください。いろいろなまちを走って、時に自然と戯れながら、その時間その場所の「日常」を生きています。ご意見・ご感想およびお仕事のご相談は [email protected] まで。

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