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2023-02-25

タコスを食べ、うどんをすすり、ChatGPTについて語る。

  この記事に関連する話題: "AI"を紐解く

あるプロダクトのインタフェースが極めて単純であった場合、僕ら受け手はその背後にある(かもしれない)複雑さを容易に見落としてしまう。それは作り手が素晴らしい仕事をした結果である一方、プロダクトのあり方として必ずしも正解であるとは言えないのではないか?そんなことを、2022年12月末から2023年1月にかけてアメリカ(テキサス・オースティン)、メキシコ(カンクン、メキシコシティ)、日本(長野、東京、宮崎、香川、富山)をフラフラしながら考えていた。

map

物理学者 César A. Hidalgo は著書 "Why Information Grows"(邦題『情報と秩序』)の中で「プロダクトとは、世の中の情報が結晶化したモノである」と表現した。これは大変興味深い比喩であり、一見単純な物事に内在する複雑な“何か”に思いを馳せる機会を与えてくれる。一体、目の前の結晶を構成している原子は何なのか?あるいは、プロダクトの設計と機能は別の問題であり、そのようなミクロな問いは無意味なのか?テキサスとメキシコでタコスを食べ比べる過程で、ふと、そんなことを考え始めた。

初日、最初の目的地であるテキサス・オースティンで友人おすすめのTex-Mexレストランに行く1。このとき食べたタコスを『プロダクト』として観察すると、これはユーザから見て「明らかに複雑」であった。様々なトッピングとソースによって作り上げられたリッチなフレーバーは、直感的に「いろいろやっている」ことが理解できる:

tacos-austin

その後、僕らはメキシコ・カンクンに飛んだ。西側諸国からの渡航者が大半を占める定番リゾート地は、パンデミックなんて無かったかのような賑わいだった(うるさすぎて正直ちょっとひいた)2。観光客の属性を反映するかの如く、タコスはまだまだアメリカ的で、複雑なままである:

tacos-cancun

しかし次の目的地・メキシコシティでは、タコスのプロダクトとしてのユースケースが大きく変化した。標高2000メートルを超える高地に位置するメキシコの首都。ここでは、ストリートフード型タコスが市民の生活に完全に溶け込んでいた:

tacos-cdmx-1

tacos-cdmx-2

これはプロダクトとしては「明らかに単純」な類のモノである、と僕は感じた。具材は最小限、味は良くも悪くも予想通りで、レビューをするなら星3.0〜3.5といったところか。しかし、知人/友人/同僚から過去数年間にわたって聞かされていたのは「メキシコで食べる本物のタコスは違う。段違いでおいしい」という話だったので、どうも噛み合わない。本当か・・・?単に僕が良い店を見落としていただけという説もあるが、他の人の言う「良さ」を、僕は目の前の過度に洗練されたプロダクトから感じ取ることができなかった。

ちなみに、メキシコシティ自体は言うまでもなく極めて複雑な都市である。中心地の一区画がヨーロッパっぽいなぁと思えば、数ブロック先は完全にアジアな景色だったり。これは、アステカ文明の興りとスペインの侵攻という複雑な歴史の上に発展してきた都市であるが故の光景である、と理解している。おしゃれなカフェやバーと歴史的建造物、そしてステレオタイプ的な“危ない”路地裏のすべてがこの高地で混在しているという目の前の現実に、ただただ言葉を失った3。それでもやっぱり、タコスの複雑さは捉えられなかった。

年が明けて日本へ飛んだ後にも、似たような経験をした。うどん県・香川へ行ったときのことである。「今度香川に行くんですよ」というと、友人、同僚、そして初対面の誰かまで、「じゃあこの店に行きなさい。他とは全然違うから、一度は食べたほうがいい」と、出てくる出てくるおすすめのうどん屋。タコスでも聞いた「本物は違う」説だ。なるほど、そこまで言うなら・・・と思い、2泊3日の旅程で計8件のうどん屋を皆さんのおすすめを中心に巡ったのだが・・・ウーン、わからなかった。

udon

全部とても美味しい。それは間違いない。しかし一杯のうどんに素朴な美味しさ以上の何かを読み取ることが、僕にはどうしてもできなかった。讃岐うどんというプロダクト、その本質は一体どこにあるのだろうか・・・。

そんなわけで、タコスやうどんのような極めて単純なプロダクトとの向き合い方に悩み、首を傾げた旅行体験であった。しかし本来、結晶化された“情報”を(作り手が)伝えて(受け手が)読み取るという営みは、このように極めて難しいタスクであるはずなのだ。数日間で集めた10サンプル程度で語ることができてしまっては、それこそ拍子抜けである。だからこそ、「本物は違う」と教えてくれた皆さんがどのような過程でその見解に至ったのか、気になって仕方がない。あるいは、その感想が外的情報や何らかのバイアスによるものだとしたら?

ここで、より具体的なプロダクトの例として、流行りのChatGPTを見てみよう。これは、個人的には「明らかに単純」なプロダクトとして捉えている。今後のアプリケーションの可能性を示す“デモンストレーション”として素晴らしいことに違いはないが、その「すごさ」を語るときに、我々は画面の向こう側にあるコンテクストを十分に考慮できているのだろうか?AI開発における搾取の歴史4、フィードバックループを実現しているデータパイプラインの実装5、精度向上には人の介入が不可欠であるという事実6など、知るべきことは多く、受け手がそのような複雑さを察することができなかったのだとすれば、それはプロダクトのあり方として正しいのだろうか?と僕は疑問に思う。

2ヶ月弱の旅行の中で、多くの人と会話の機会を持つこともできた。そこで半数以上の皆さんが(何の脈絡もなく)ChatGPTに関する何らかの話題を持ち出し、そのほぼすべてが無邪気に興奮を伝えるポジティブなモノであったこともまた、このような議論をする上で興味深い観察結果である。

メキシコにおけるタコス、香川県におけるうどん、AI領域におけるChatGPT—いずれもプロダクトとしての質の高さに疑いの余地はないものの、個人的には「本物は違う」「これはすごい」といったナイーブな感想を深掘りすることの重要性を考えたい。その背後には、見えない数多の変数が隠れているはずなのだ。究極的には、「単純さ」と「複雑さ」が絶妙なバランスの上に成り立っている、作り手と受け手の間のコミュニケーションの媒介となるようなプロダクトこそが、情報が結晶化した姿として自然なのではなかろうか。

今回の旅で触れた様々なプロダクトの中では、たとえば寿司が、そのような絶妙なバランスを達成していたモノのひとつかもしれない。都内某所で食べた寿司に対して僕が自然と抱いた感想は「情報量が大きい」であった。それは安易においしいと言うのとも、見るからに手が込んでいるが故のおいしさとも違う。一見単純なプロダクトでありながら、食べたときに「何かが起こっている」ことにどうしようもなく気付かされ、考えさせられてしまうのだ。

sushi

明らかに単純でも、明らかに複雑でもない、受け手が自然と情報量の大きさ(=結晶物としてのプロダクトが内包する複雑さ)に気が付くデザイン。その絶妙な体験をいかに提供できるかは、いち開発者としての大きな課題である。

なお、このように「情報を伝搬するコミュニケーション媒体」としてプロダクトを捉え直すと、冒頭に挙げた物理学者 César A. Hidalgo が後にデータ可視化のスタートアップを立ち上げたことにも頷ける。たとえ構成する物質は同じでも、それをいかに表現するかは、作り手・受け手の双方の認識を左右してしまう大変な問題なのだから。

1. Tex-Mexに関するWikipedia記事によると、Tex-Mexとは主にチーズ、肉、小麦トルティーヤによって特徴付けられるのだという。個人的には「ごちゃごちゃでわかりやすく複雑」であることがTex-Mexの(あるいはアメリカナイズされたメキシコ料理一般の)特徴であると捉えている(サンプルは不十分)。
2. メキシコ政府発表の統計情報によると、飛行機でメキシコを訪れる外国人の8割がアメリカ大陸またはヨーロッパ諸国からの渡航者であり、カンクン国際空港が到着便の数で国内最多。
3. カナダやアメリカと同様に、ヨーロッパからの侵攻・侵略の歴史が現在の国の姿に重要な役割を果たしている。メキシコシティ市街地には、侵略前後の土地の姿や先住民の生活を記録した歴史的建造物や美術館、博物館が点在している。 https://www.history.com/topics/latin-america/distrito-federal
4. AI研究者 Kate Crawford は著書 "Atlas of AI" の中で、AI開発が人権、政治、軍事問題を主とする社会的な背景・歴史の上に成り立っていることを指摘している。安い労働力を使って開発を進める資本家たち、軍事利用という研究開発の究極のゴール、人間社会に埋め込まれたバイアスをそのままに反映した不平等な分類システムなど、その多くが「持つ者」による「持たざる者」からの搾取・排斥の構図をとっている。
5. OpenAIの言語モデル継続的デプロイメントに関するサーベイを読むと、AIシステムにおいて安全性と利便性を両立させることの難しさがよくわかる。また、「AIの出力は変化し続けるものである」という前提を理解することも、当該プロダクトを語る上で重要であると思う。 https://openai.com/blog/language-model-safety-and-misuse/
6. 言語モデルに対するフィードバック収集およびコンテンツモデレーションに関するOpenAIの議論は、AIシステムが未だ人間の入力に強く依存していることを示唆しており、故に開発者には倫理的な配慮も求められる。 https://openai.com/blog/new-and-improved-content-moderation-tooling/
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最終更新日: 2023-02-25

  書いた人: たくち

Takuya Kitazawaたくち)です。長野県出身、カナダ・バンクーバー在住のソフトウェアエンジニア。これまでB2B/B2Cの各領域で、Web技術・データサイエンス・機械学習のプロダクト化および顧客への導入支援・コンサルティング、そして関連分野の啓蒙活動に携わってきました。現在は主に北米(カナダ)、アジア(日本)、アフリカ(マラウイ)の個人および企業を対象にフリーランスとして活動中。詳しい経歴はレジュメ を参照ください。いろいろなまちを走って、時に自然と戯れながら、その時間その場所の「日常」を生きています。ご意見・ご感想およびお仕事のご相談は [email protected] まで。

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