コミュニケーション、交通、購買、飲食―生活のあらゆる場面が急速にデジタル化される昨今、リアルワールドの真価が問われている。
「すべてがオンラインに集約され、人の仕事はAIに奪われる」
アメリカの小売業界で店舗閉鎖が相次いだリテール・アポカリプスを振り返ると、そのような灰色の未来を想像せずにはいられない。
しかし実際はその逆。そのような時代だからこそ、リアルワールドが、人の存在が重要な意味を持ってくるのだ。
世界最大の小売業界の展覧会・NRF2020への参加記や『ストーリーを伝えられないプロダクトの虚しさ』でも述べた通り、デジタル(オンライン)とフィジカル(オフライン)が渾然一体となった世界では、いかに相手を深く理解し、表面的ではない個人化されたコミュニケーションをとるかが重要になる。そして、これを最も効果的に実現できる場所のひとつが、オフラインでの人対人のインタラクションにほかならない。事実、実店舗における顧客体験の最適化をテクノロジーの力をかりて見事に体現してみせた小売業界の先駆者たちにとって、今やリテール・アポカリプスなど完全に過去のものなのだ。
受発注や集計処理がオンラインに集約されて、大部分が自動化されてしまった?良い話ではないか。それなら僕ら人間はオフライン接点の最適化に全力を注ぎ、そこで人間にしかできない仕事、つまり密なコミュニケーションに注力すればいい。
たとえば、購買行動の大半がオンラインで行われるのなら、オフラインは購入前の“体験”の場と割り切ってしまう。実店舗で商品それ自体のクオリティや背後にあるストーリーを五感で感じてもらい、ファンになってもらえればこっちのもの。オーダーはオンラインからいつでもどうぞ、というわけだ。まるでテーマパークのような店舗を作ってしまう「リテールテイメント」もこのような考え方が根底にあるはずだ。
ただし忘れてはならないのは、このときオフライン接点の局所最適化に陥らないこと。実際には、オフライン、オンライン、人、AI、全てを変数とした“線”上の大域最適化を行わなければならず、頭では分かっていてもこれがなかなか難しい。どれだけ素晴らしい店舗体験をしても、オンラインサイトが使い物にならなければ商品を注文する気が削がれてしまうだろう。
そのような議論に具体的な示唆を与えるのが、書籍『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』だ。
『アフターデジタル』ではこの「点ではなく、線で捉えた顧客体験」に関して、世の中のトレンドから実際に現場が取るべきアクションまで、以下のように順を追って非常に平易な説明を与えてくれる。読んでしまえば当たり前のことばかりでも、ここまで大衆向けに分かりやすく言語化された資料はなかなかお目にかかれない。
- キャッシュレスやAIといった世の中のトレンドの本当の意義は、生活の中でのデジタル接点が増えて、より多くのデータが蓄積されるようになることにある
- 複数の接点で十分なデータが得られると、ひとりの人を“点”ではなく“線”(ジャーニー)で理解することができるようになる
- “点”での理解:顧客ID・ABCさんがたった今、商品Xを購入した。
- “線”での理解:顧客ID・ABCさんは東京都在住。1週間前にWebでキャンペーンにサインアップ、2日前に実店舗(銀座店)を訪問、そしてたった今、店舗で試着した商品Xを購入した。
- このオフラインをオンラインが内包した世界で生き残るためには、ジャーニー型データを活用したデータドリブンのUX改善が鍵となる
特に「データドリブンのUX改善」についてしっかりと掘り下げられているところが印象的だった。いわく、エンジニア、データサイエンティスト、UXデザイナーから成るグロースチームがジャーニーを磨き、伸ばしていくことが必要なのだという。このようなスキルを一般教養的に身に着けている人材はもはや不可欠であり、この点は『デザインエンジニアになろう』で取り上げた書籍『イノベーション・スキルセット~世界が求めるBTC型人材とその手引き』が詳しい。
磨くこと=UXグロースハックでは、時系列行動データに基づいて改善→実装→データ収集→分析のループを高速に回していく。
一方、ずっと改善業務だけしていてはしりすぼみ。そこで、伸ばすこと=UXイノベーションによって今までにない“使い続けられる”機能を提供することも求められる。このときビジネス的なメリットだけに固執せずにユーザ目線で体験を設計・実装することが大切で、ここにデザインシンキングのような考え方が生きてくる。
オンラインとオフライン、デジタルワールドとリアルワールドの融合はすでに始まっている。本書で頻繁に使われる「オフラインがなくなる」という表現には違和感を覚えるが、データを生み出すオンラインの世界が主導権を握っていることは確かであり、現場にはデジタルワールドを深く理解してデータを実装・体験に還元できるだけのスキルが強く要求される。そしてそのとき、リアルワールドは最強のアセットとなるのだ。
非常にユニークな、体験・コミュニケーションの場としてのリアルワールド。そしてこれほどオフラインが脚光を浴びるのも、すべてはオンラインが普及したからこそ。僕らはなんて面白い時代に生きているんだろう―「いま、真に価値のあるプロダクト、ビジネス、体験とは何なのか?」と考えていると、いつもそんな興奮が思考の邪魔をする。
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最終更新日: 2022-09-02
書いた人: たくち
Takuya Kitazawa(たくち)です。長野県出身、カナダ・バンクーバー在住のソフトウェアエンジニア。これまでB2B/B2Cの各領域で、Web技術・データサイエンス・機械学習のプロダクト化および顧客への導入支援・コンサルティング、そして関連分野の啓蒙活動に携わってきました。現在は主に北米(カナダ)、アジア(日本)、アフリカ(マラウイ)の個人および企業を対象にフリーランスとして活動中。詳しい経歴はレジュメ を参照ください。いろいろなまちを走って、時に自然と戯れながら、その時間その場所の「日常」を生きています。ご意見・ご感想およびお仕事のご相談は [email protected] まで。
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