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2023-05-21

情報倫理─それは哲学か、栄養学か?

  この記事に関連する話題: プロダクト開発者に求められる、これからの「倫理」の話をしよう。

混沌と秩序が同居したこの魅力的な世界で、僕らは情報空間 (infosphere) における一生命体 (inforg) としてゆるゆると活動を続け、日々何らかの「情報」を消費し、それを血肉として暮らしている。Philosophy of Information(情報の哲学)の大家・Luciano Floridiは、このような虚構と現実の境目さえ曖昧な世界観を元に、(1) コペルニクスの地動説、(2) ダーウィンの進化論、(3) フロイトの無意識の発見に次ぐ、我々人類の自己認識を根底から覆す「第4の革命」として情報技術を位置付けた。シャノン、チューリング、ノイマン、ウィーナーらによる20世紀の理論的研究1を土台とした彼の哲学を象徴するのは「情報の自然化(物質性・流動性)」のメタファーであり、これはアイデンティティ・プライバシー・知識・政治・環境といった題材を統一的な基準2で議論することを可能にする。

しかし、人間社会における「情報」の流れは人間自らの意思によってある程度コントロール可能であるのに対し、先の三大革命は物理世界あるいは生命にすでに備わっていた法則や性質を解明したにすぎない3。その点において、Floridiのクールすぎる哲学に依存するのはどこか違う気もする。たしかに、言語を媒体として伝えられる人々の経験・知識・想像と、それを支える技術—すなわち「コミュニケーション」—の美しさには超自然的なちからさえ感じるが、現代社会におけるその分配とインセンティブのモデルはあまりに人為的であり、醜い。ゆえに僕は「流体としての情報」を考えるとき、不均衡を自然の摂理としてあるがままに受け入れるのではなく、フィールドワークとリスク低減策による共生に向けたアプローチを尊重する。

情報推薦、マーケティング、気持ちのいいユーザ体験。Nir Eyalが Hooked: How to Build Habit-Forming Products(邦題:『ハマるしかけ』)でみたように(そして多くの開発者が経験的に理解しているように)、歪んだパワーバランスの下で情報の流れをエンジニアリングするのは、テクニックさえ知っていればとても「簡単」なことである。しかしその作為は時に、ユーザの心を、生活を、命を、いとも簡単に奪い去ってしまう。ある種の情報の過剰摂取やバランスを欠いた消費傾向は個人のウェルビーイングを脅かすものであり、すなわち我々消費者にとって大切なのは、健全な食生活に求められるような「リテラシー」である。

ジャーナリスト・Michael Mossは豊富なインタビューと資料を土台に執筆した著書 Salt Sugar Fat: How the Food Giants Hooked Us で、食品業界の利益至上主義と、消費者の脳の報酬系を刺激するために作為的に開発される塩・砂糖・油に依存した製品群の実態を取り上げた。肥満・高血圧の増加による社会からの圧力や、困難を極める法整備、企業で開発・販売に携わっている人々のジレンマなども含めて、僕にはそんな食品業界が辿った道が情報産業のアナロジーに見えて仕方がない。脳が「美味しい」と反応してしまうから、僕らはファストフード、コンビニ飯、お菓子・スイーツを食べ続けるのをやめられない。脳が「気持ちいい」と反応してしまうから、Instagram, TikTok, YouTube, ショッピングサイト、オンラインゲームでスクロール・クリックすることをやめられない。ドーパミンの働きという点で、それらはいずれもセックスやドラッグ、タバコ、アルコールと大差ない4

最近修了したCourseraのFood Sustainability, Mindful Eating, and Healthy Cooking Specializationでも冒頭から強調されていた話ではあるが、一消費者として忘れてはならないのは、企業(特に、プラットフォーマーと呼ばれるような大企業)はあなたの健康を第一に考えて製品を作っているのではない、ということ。資本主義社会において何よりも優先されるのは利益であり、もしあなたが健康や生産性向上といった消費者利益をうたうプロダクトに出会ったら、それは「その方が売れるから」という理由で発せられたマーケティングメッセージにすぎない。だからこそ、肥満が問題だからといってマクドナルドやケンタッキーフライドチキンを批判するのではなく、まずは個々人が正しい理解を持ってマインドフルに「食」と向き合う必要がある5"Every bite has consequences" なのだから、供給元に依存し過ぎず、モデレーションによって自らの健康を維持しよう。

情報の消費も同様である。テック企業を批判するだけでなく、まずは自分の周辺の情報の流れを自分でコントロールする姿勢が重要だ。それはつまり、いちばんたいせつなことを見逃さずに「人生の主体性を取り戻す」ということ。アメリカで政治キャンペーンに携わってきた活動家・Clay Johnsonは著書 Information Diet でソーシャルメディア上でのmis-/dis-informationの実態を例に挙げつつ、今起こっていることは「情報過多 (information overload)」などという「溢れちゃいました」的な自然現象ではなく、ただの「消費者たちの情報の過剰摂取 (information overconsumption)」だと主張している。"Clicks have consequences"6 であり、やはり個人レベルでのモデレーションがカギ。

では具体的に、健康的な消費行動とはどういうものなのかというと、僕が食と栄養について学んだときに最もシンプルで有用だと感じたアドバイスは "Eat food. Not too much. Mostly plants"(自然な“本物の”食材を、適度な量とバランスで、野菜など植物性のものを中心に摂ろう)というもの7。別に細かくPFCバランスを維持してカロリーコントロールをする必要はない(当然そこまでできれば素晴らしいが)。情報だって、別に全てを「害」と決めつけてシャットアウトする必要はないし、そもそも不可能な話である。デジタルでもリアルでも、先進国でも途上国でも、街中でも山奥でも、この世界に生きている限りにおいて僕ら一人一人は何らかの情報を周辺世界とやり取りしていて、あなたの行動・言葉は常に、その小さな世界を動かすだけのちからを持ってしまっている、、、、、、、、、のだから。ただ、その事実に(そして外部からの情報に対する自身の脆弱さに)もう少しだけ敏感になりましょう、ということ。僕がフィールドワークやリスク低減といった表現で「手触り感」を強調する理由は、ここにある。

これは朗報だ。「情報」と「食物」の類似点は多々あれど、両者の決定的な違いとして「情報は、全人類が消費者であると同時に生産者でもある」という点が挙げられると、僕は考える。加工食品にノーを突きつけたくても、全員が生産者側に回れるわけではない。しかし情報は、少なくとも食料よりは「民主化」が進んでいる。ならば本当に、プラットフォーマーを、パワーバランスそれ自体を批判することには意味がないのだろうか?本当に必要な「倫理」は実は案外近くにあるのだと、僕は信じたい。

1. 改めて振り返ると、すごい時代である。The Information: A History, a Theory, a Flood で描かれたように、「物語」として読んでもシンプルに興奮できる史実。小説・三体で世紀をまたいで冬眠した登場人物たちを思い出しながら、もし今日この人たちが再臨しても、すぐにキャッチアップして主戦場で活躍できちゃうんだろうなあ、と妄想する。
2. Floridiの表現を借りると、この「基準」は「情報」というLevel of Abstraction(物事を考える時の「粒度」あるいは「解像度」)であると言える。同じ問題でも、たとえば「データ」や「コンピュータ」といった異なる視点で捉えると、また違った議論が生まれうる。What is Data Ethics? での $\mathrm{LoA}_{\{C, I, D\}}$ の比較などを参照。
3. コペルニクスは真理を自分の都合で捻じ曲げたわけではないし、ダーウィンは遺伝子操作を行なったわけではないし、フロイトは人間の脳を塩漬けにしたわけではない、という「どれだけ人間本位だったか」の視点で。結局のところ、それは語り継がれた歴史に基づく「想像」でしかないのだが。
4. (犯罪や病気に繋がりかねない中毒症状それ自体と製品開発を同一視しているわけではない点に注意が必要だが)HookedSalt Sugar Fat を含め、製品開発の現場でドーパミンの働きを「応用」することの功罪や、中毒性のある食品・デジタルコンテンツをドラッグ、セックス、タバコなどと並べて議論した文献には枚挙に遑がない。たとえば "Constant craving: how digital media turned us all into dopamine addicts" など。
5. マインドフルな食 (mindful eating) についてのStanfordのMaya Adamによる言及はCourseraのRebuilding Our Relationship with Foodより。論文 "Mindful eating and common diet programs lower body weight similarly: Systematic review and meta-analysis" に見られるように、そのような消費の姿勢の有効性は部分的に示されている。課題は、それが長期的にどのような意味を持ちうるか、という点。
6. ソース:Is It Time For You To Go On An 'Information Diet'?, January 14, 2012.
7. このアドバイスの出典はジャーナリスト・Michael Pollanによる書籍 In Defense of Food: An Eater's Manifesto
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最終更新日: 2023-05-21

  書いた人: たくち

Takuya Kitazawaたくち)です。長野県出身、カナダ・バンクーバー在住のソフトウェアエンジニア。これまでB2B/B2Cの各領域で、Web技術・データサイエンス・機械学習のプロダクト化および顧客への導入支援・コンサルティング、そして関連分野の啓蒙活動に携わってきました。現在は主に北米(カナダ)、アジア(日本)、アフリカ(マラウイ)の個人および企業を対象にフリーランスとして活動中。詳しい経歴はレジュメ を参照ください。いろいろなまちを走って、時に自然と戯れながら、その時間その場所の「日常」を生きています。ご意見・ご感想およびお仕事のご相談は [email protected] まで。

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