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2020-04-30

貯金を取り崩しながら生きている感覚

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振り返るとこの1年は、常にそんな伸びきったゴムのような心をぶら下げて歩いていたような気がしてくる。もちろん瞬間的には嬉しいし楽しいし悔しいし悲しい。しかし自分史上最高にダイナミックな日々の中では、どんな事象も結局のところ時間軸上のある一点にすぎなかった。なんというか、昨日がとても遠くに感じるのだ。

2020年は「連続的な毎日と、日常の中の非日常」を喜ぶことのできる、ゆとりのある1年にしよう—そんなことを『年報(2019)』で書いたら、全く予想していなかった形で「連続的な毎日」だけが手に入り、「非日常」を完全に失った。受け入れるには大きすぎる変化だ。

とはいえ、在宅勤務を続けること約2ヶ月。"How I'm Working From Home" にも書いたとおり、いまは非常に調子がいい。

5時起床、21時就寝。ポモドーロで時間管理を徹底しつつ、一歩一歩着実に仕事を進める。時間外は仕事用PCを絶対に開かない。iPhoneからGmailとSlackを消す。そもそもiPhoneを1日に1回くらいしか見ない。三食自炊。朝晩に散歩。etc.

おかげで心と身体がとても軽い。

一方で、これらすべてを実践できているのは、これまでの非日常の“貯金”があるからこそだとも思っている。

これまで世界をいっぱい飛び回った分、今は家でじっとしていられるし、これまで外でたくさん美味しいものを飲み食いしてきた分、今は自炊を楽しめる。

しかしこれでは心が死んでしまうのも時間の問題。

convergence

この状況下で『できる研究者の論文生産術』を実践しながら消極的に生きていくことの限界は薄々感じている。

この本の良いところはこの消極的に、それでも着実に書き続けるという姿勢にある。その時の調子や気分に左右されるDeep Workerに価値はない、というのが持論。(...) 目先の結果はどうであれ、コンスタントに小さな一歩を積み重ねた人のほうが、長い目で見たときにずっと遠くへ行くことができる

"Deep Work"を読んだけど微妙だったから皆は"How to Write a Lot"と"エッセンシャル思考"を読めばいい

ブレずにうまくやっているつもりでも、1日のおわりの疲労感や休日の待ち遠しさといった、ここ数ヶ月で顕在化した新たな感覚は無視できない。

「以前のような日々」なんてものはもう二度と訪れないわけで、これはもうどうしようもない。では今年の末に、1年前とは全く違う意味で「昨日がとても遠くに感じる」などと書かずに済むように、今なにができるのか。そんなことを毎朝30分の散歩中にずっと考えている。

兎にも角にも、できる限り波風を立てぬよう、慎重に、丁寧に今を生きることだ。先に書いたような生活リズムや仕事との向き合い方を極力崩さず、息が切れないように、調子の良さを1日でも長く持続させる。

外的刺激が少ないせいで、最近は心身が過度に敏感になった。ほんの少しだけイラッとしたら、これを布団に入るまでずっと引きずっている自分がいる。たまには・・・とUber Eatsを利用していつもと違うものを食べると、翌朝の寝起きがひどく悪くなる。雨が降り、風が強く吹く。あれ、悪天候ってこんなに気分が沈むものだっけ。

リズムとは、一定の周期で確実に繰り返されるものだ。そこにゆらぎが加われば、あとの挙動はカオス的。改めて『ていねいなコミュニケーション』で学んだことを振り返って、静かなこころを保つ努力をしよう。

と同時に、受け止められるだけの小さな変化を毎日に与えて、心を殺さぬよう努める必要もある。僕がやっていることといえば、昨日と一本違う道を散歩してみたり、コーヒー豆を変えてみたり、普段飲まないタイプのお酒を買ってみたり、近隣のパン屋さんのパンを週替りで食べ比べてみたり1。些細なことだし実利はほぼ無いのだけれど、それが心に弾力を与えてくれる。

その上で、中長期的には“貯金”に依存しない生き方・マインドセットに切り替えていくことが必須だろう。

瞬間瞬間を積極的に生きていこうということなのだけど、これがなかなか難しい。昔の記事すぎて恥ずかしいけれど、ヒントは『岡本太郎に学ぶ、芸術と人生。』にある気がする2

生き方に絶対的な基準など無いのだから、問題はやるかやらないかしかない。成功しようとか、選択を間違えないように・・・などと考えず、思ったままにやればそれが人生だ。しかしこれもまた難しい。僕らは無意識に、無駄な思考の末にもっともらしい理由を見つけて型にはまろうとしてしまう。人生はシンプルであり、感情に従えばそれだけでいいのに、それができない。

僕はこれを「積極的に取捨選択する」ということだと捉えている。それは、目の前の判断に妥協しないということ。そして寄り道をせず、不要な事物に時間と労力を割かぬよう立ち振る舞うということ。

この静かな時間を好機と捉えて、適度に肩の力を抜きつつ、前向きに生きていければと思う。あまり深く考えずに、ね。

1. それを可能にしてくれている、僕らの“あたりまえ”を維持してくださっている方々には本当に頭が上がらない。ありがとうございます。
2. そういえば岡本太郎・著『自分の中に毒を持て』が今になって本屋さんで平積みされていた。このご時世、みんな同じようなことを考えているのかねぇ。

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最終更新日: 2022-07-31

  書いた人: たくち

たくちです。長野県出身、カナダ・バンクーバー在住のソフトウェアエンジニア。これまでB2B/B2Cの各領域で、Web技術・データサイエンス・機械学習のプロダクト化および顧客への導入支援・コンサルティング、そして関連分野のエバンジェリズムに携わってきました。現在はフリーランスとして活動を続けつつ、アフリカ・マラウイにて1年間の国際ボランティアに従事中。詳しい経歴はレジュメ を参照ください。いろいろなまちを走って、時に自然と戯れながら、その時間その場所の「日常」を生きています。ご意見・ご感想およびお仕事のご相談は [email protected] まで。

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