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2014-02-28

岡本太郎に学ぶ、芸術と人生。

岡本太郎の『今日の芸術』を読んだ。『自分の中に毒を持て』で衝撃を受けて以来、他の本も気になっていたので。

タイトルの通り、今日の型にはまった芸術について意義を唱えるという内容。しかし、それらは芸術に限らず、僕らの生き方・考え方に対しても全く同じことが言える。

芸術の真意は人間性にあり、だからこそ僕らは芸術に感動するのだと太郎は言う。

芸術に絶対的な基準など無いのだから、描くか描かないかが問題なのだ。下手でもいいから描いてみる。すると、自分に対して正直に、自由でありさえすればそれが人間性として表れ、芸術が生まれる。確かに単純明快でしっくりとくる論理だ。

しかしこの「下手でもいいから」とか「自分に対して正直に」とか、「自由で」みたいなのが実は一番難しい。たいてい、心の何処かで「恥ずかしい」みたいなブロックが掛かる。

太郎やピカソの作品の凄さは理屈で語るものではなく、その中にある自由さだというわけだ。彼らは自分自身と闘い続け、自由であることに努めた。だから僕らは彼らの作品を見ると、言葉では表現できない迫力・凄みを感じる。

生きることも同じだ。生き方に絶対的な基準など無いのだから、問題はやるかやらないかしかない。成功しようとか、選択を間違えないように・・・などと考えず、思ったままにやればそれが人生だ。しかしこれもまた難しい。僕らは無意識に、無駄な思考の末にもっともらしい理由を見つけて型にはまろうとしてしまう。

人生はシンプルであり、感情に従えばそれだけでいいのに、それができない。

年末年始に読んだファインマンさんは、自身の好奇心、すなわち感情に素直であった人間の1人だ。彼の凄さはそこにある。

太郎は、型にはまった芸術に現れる"符丁"の中に自己はあるか?とも問いかける。ここにも、生き方に対するメッセージがある。

周囲を見渡してみよう。みんな当たり前のように大学を受験し、就活や院試を経て、いずれは皆それなりに就職し、結婚する。これは明らかに僕ら現代人の間にある"符丁"だろう。

僕は今大学3年だが、進路の話になると「就活?進学?」と言われる。その2択で決めなければいけないらしい。

さらに進学だと答えると、「東北大?東大?」などと聞かれる。どうやらある程度名の通った国内の大学から選ばなければいけないらしい。

20代後半にもなると「そろそろ結婚とか考える年頃じゃない」なんて話している光景もお馴染みだが、そもそも結婚しなければならないという法律はあっただろうか。

別にこれら全てを否定するわけではない。問題は、その中に自己があるかということだ。「大学3年になったから就活する」とか、「そろそろ30歳も見えてきたし結婚する」とか、そういうのがおかしいだろうという話だ。

本書で語られる太郎の言葉で個人的に気に入っているのは『芸術は「なぞなぞ」じゃない』というもの。芸術とは、生き方とは"符丁"に流されるものでも、なぞなぞのように考えるものでもない。僕ら自身がなにを感じるか、それだけが問題なのだ。

「働きたいから就活する」「この人と結婚したいから結婚する」のように、感情が前提にあるべきだし、それが無いのならすべて嘘っぱちだ。でもって、周りの奴らはつまらない選択問題を投げかけるな。そいつが描くか描かないかはそいつ自身の問題だよ。(助け合うこととか仲間・友だちであることを否定しているわけでは無いよ。念のため。)

ちなみに、この感情がどこから来ているのかという問題もまた重要だが、それはまたの機会に。ここでは以下の記事を紹介するので、ぜひ読んで欲しい。

それ本当にやりたいの? - 愛の日記

太郎の本はこれで2冊目となったが、常に前のめりな姿勢で語りかけてきて、じわじわと力が湧いてくるという点はいずれも共通している。厳しいことを言っているようだけれども、一人ひとりの自由な生き方を全力で肯定してくれるので、自然とやる気になってくる。すごい。

背中をバシンと叩かれるような感覚、とでも言うのだろうか。

読み終えて、改めて太郎の「芸術は爆発だ」という発言を振り返るとその言葉の持つ力に驚かされる。芸術は、自己を全力で前に出す(解き放つ)ことで初めて芸術と呼べる。ここで言う芸術とは、人生そのものでもある。自己を全力で前に出すということ、それは自分に正直で、自由であるということだ。

"符丁"にとらわれず自由に、自分に正直に生きることはとっても難しい。だってそれは、子どものころのような無邪気な状態を一生保つことになるわけだから。

仮に僕が「大学を卒業したら海外へ行こう」と決意したとする。それは確かに身近な人間とはちょっと違う選択だし、表面上はいかにも自由っぽくてカッコいい。でも、そこにさえ「海外へ行くことが特別」という"符丁"があるのだろうし、僕の決意は少なからずその"符丁"に飲まれたものなんだと思う。

最近のほぼ日の『今日のダーリン』の中で、糸井さんが「僕らが本当に自分の頭で考えていることってどれだけあるのだろうか。考えているつもりでも、実際は本で読んだり人から聞いたものだったりすることがほとんどだ。」みたいなことを書いていた。まさにその感覚だ。

僕らは子どものころのように無邪気に、自由であるためにはあまりにも多くのことを知りすぎた。精神的にも成長しすぎてしまった。まぁそんな中でも、僕は僕なりにもがき続けていきたいなぁと思うわけです。